トロイの木馬は、かつてギリシャ神話に登場する「トロイア戦争」の中でも最も印象的なエピソードであり、戦争を終結させた木馬としてあまりにも有名。しかし、その存在は意外と知ってそうで知らないですよね?
今回はトロイの木馬を世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、トロイの木馬について具体的に理解できること間違いなし!
トロイの木馬の神話とは?
そもそもトロイの木馬が登場したのは、かつてトルコ北西部に存在したトロイ(トロイア、イリオス)とギリシャ・ペロポネソス地方を中心に暮らしていたアカイア人の連合軍との戦い、トロイア戦争。この戦争は一般的にはギリシャ神話のエピソードの一つであり、歴史的事実ではありません。
この戦争は古代ギリシャやローマにおいて多くの叙事詩で扱っていて、特に木馬のエピソードは紀元前8世紀に活躍したとされるホメロスの叙事詩である『イリアス』や、ローマの詩人・ウェルギリウス(紀元前70年〜紀元前19年)による『アエネーイス』に記されています。
トロイア戦争のストーリーとしては、トロイ国王のプリモアスの息子パリスが、スパルタの王メラオネスの妻であったヘレネを略奪したため、メラオネスが憤怒し、やがて彼の兄アガメムノンがギリシャの諸侯や英雄たちを率いてトロイへ攻めるという大戦争になりました。
戦争は10年にも渡って続き、膠着状態となりました。そこでギリシャ連合軍は「トロイの木馬」に兵士を隠し、トロイ軍が寝た後に街を襲うという作戦を思いつきます。王女と神官は怪しむものの、見事に内部からトロイ軍を壊滅し、ついにトロイは陥落。
実際にトロイの木馬は存在した?実際のトロイの歴史を解説
有名な話ではあるものの、これはあくまでも「神話」。しかし、1870年にドイツの考古学者シュリーマンによって伝説のトロイの遺跡を発掘しました。実際のトロイはトルコ北西部にあり、紀元前3000年から紀元500年頃にいたるまで何層にも渡って建造された都市だったことが分かっています。
実際のトロイア戦争の年代は特定されておらず、紀元前1700年から紀元前1200年ころに起きたという説もあれば、あくまでも架空の戦争であるという説もあるほど。さらには、シュリーマンは第2市と呼ばれる紀元前2500〜紀元前2300年頃の遺跡を発見しただけであって、トロイア戦争が起きたとされる時代としても全く一致しないという結果に。
しかし、紀元前13世紀頃の第7都市はシュリーマンが発掘する際に削られてしまったのですが、この時代に火災や破壊の跡や人骨なども見つかっていることから、第6・7市が『イリアス』で描かれた時代のトロイと推定されています。
残念ながら、トロイの木馬は第7市の遺構からも発見されておらず、これについてはやはり「神話」であったと考えられるでしょう。研究者によると、そもそも当時の船首は馬をイメージしたものがあったことから船から木馬のイメージに繋がったという説や、第7市には地震の形跡があることから、ギリシャ神話の海の神であり、地震の神でもあったポセイドンと関連して木馬は「地震」を示すのでは?という説もあるほど。
世界遺産マニアの結論と感想
トロイの木馬は、現代ではコンピューターウイルスの名前にもなったように、今でも「危険」なイメージがあり、大戦争を終わらせたとんでもないアイテムであることから印象的ですね。しかし、そのルーツは今でも謎のままで、遺構にも何も残っていないことから、果たして木馬は存在したのか?そんな想像力を掻き立てるのが、木馬の魅力でもあります。
とはいえ、あまりにも有名なエピソードなので、現在のトロイ遺跡や近隣の都市チャナッカレには、最近造られたトロイの木馬が置かれていて、トロイに来た!という雰囲気を盛り上げています。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。