五島列島は長崎県の西部に並ぶ152もの島々のこと。ここは旧石器時代から人が暮らしていましたが、福江藩(五島藩)の五島氏の領地となった後、本土からの移住者の中に潜伏キリシタンがいて、彼らが暮らした集落の一部が世界遺産として登録。合計でいくつあるでしょうか?
ここでは、五島列島の世界遺産を世界遺産マニアが一覧にして分かりやすく解説。それぞれの遺産を簡潔に解説していきましょう。
野崎島の集落跡/北松浦郡小値賀町
野崎島は、五島列島の北東部にある7.36平方kmの小さな島。野首集落は古くから神道が盛んな地で、19世紀から潜伏キリシタンが暮らすようになると、神道の氏子として信仰が続けられました。
島の中央部にある旧野首教会は、1907年に周囲の野首地区に住む住民たちが費用を出し、1908年に完成。高度経済成長期以降は、島民が激減し、現在は無人島となったため、教会としては使用されていませんが、県の指定有形文化財として保護されています。
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頭ヶ島の集落/南松浦郡新上五島町
頭ヶ島は、五島列島の中通島の東側に浮かぶ1.88平方kmの島。ここは病人の療養地であったため、19世紀に本土の外海から訪れたキリシタンがここに移住し、仏教の開拓指導者に従って暮らしていました。
カトリックに復帰した島民たちは、19世紀末に木造の聖堂を建設し、その後、現在の頭ヶ島天主堂を1910〜1919年にかけて建造しました。ここはカトリック教徒によって築かれたために、現在はカトリック教会に属しています。
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久賀島の集落/五島市
久賀島は、五島列島の中でも3番目に大きな島で、8世紀から記録が残るほどに歴史の深い場所。16世紀にイエズス会によって布教が進められ、信者が増えるものの、一度途絶えてしまいます。18世紀後半になると、大村藩による潜伏キリスタンの移住計画によって、各地に入植し、明治時代には「五島崩れ」と呼ばれるキリシタンの摘発事件が起こるほどに信者が多く住んでいました。
その後、信教の自由が認められ、1881年にはカトリック浜脇教会が完成。しかし、1931年に浜脇教会は廃することになり、旧教会堂を解体し、その資材から現在の「旧五輪教会堂」が建設されました。これは五島列島でも最古の教会で、世界遺産にも登録されています。
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奈留島の江上集落/五島市
奈留島は、五島列島の中でもほぼ中央部に位置する島。18世紀に外海から潜伏キリシタンが移住し、彼らが暮らした江上集落は島西部の山々に囲まれた湾に面していたため、狭い谷間を開梱しながら開発したもの。
1881年には当時住んでいた4つの家族がカトリック教会に復帰し、その後は人口も増加したこともあり、1918年に現在の江上天主堂が建造されました。
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世界遺産マニアの結論と感想
五島列島の世界遺産としては「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」に含まれている野崎島、頭ヶ島、久賀島、奈留島の4箇所の集落が登録されています。あくまでも「潜伏キリシタン」の遺産のため、建築物というよりも文化が評価されていますが、各集落には明治以降に教会が建造され、今でも残っているので雰囲気は抜群ですよ!
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。