セルビアの世界遺産の数はいくつある?それぞれを一覧にして世界遺産マニアが解説

  • URLをコピーしました!

セルビアはバルカン半島の中央部に位置していて、かつてはユーゴスラビアの中心となる国家でもありました。ローマ帝国の都市遺跡から、かつてこの地に存在してたセルビア王国時代から残る修道院など、さまざまな遺産がありますが、世界遺産はいくつあるでしょうか?

ここでは、セルビアの世界遺産を世界遺産マニアが一覧にして分かりやすく解説。それぞれの遺産を簡潔に解説していきましょう。

目次

スタリ・ラスとソポチャニ

スタリ・ラスとソポチャニ/セルビアの世界遺産
画像素材:shutterstock

セルビア南西部にある都市ノヴィ・パザルの郊外にはセルビア王国(1171〜1346年)の最初の首都であったスタリ・ラスの都市遺跡があります。ここは城壁で囲まれていて、内壁には王宮や聖堂などが存在していましたが、13世紀には居住地が放棄されると、その後は荒廃し、現在は遺構のみが残っています。

その近くにあるソポチャニの修道院は13世紀に建造され、フレスコ画の『生神女の就寝』で有名で、西欧と東欧の融合が見られるもの。さらにノヴィ・パザルの近くにはセルビア最古の教会である聖ペテロ教会もあり、この地は文化の中心地でもありました。

詳細はこちら↓

あわせて読みたい
セルビアの世界遺産「スタリ・ラスとソポチャニ」とは?世界遺産マニアが解説 セルビア南西部にある都市ノヴィ・パザルの郊外にはセルビア王国(1171〜1346年)の最初の首都であったスタリ・ラスの都市遺跡があります。その近くにあるソポチャニの修道院は13世紀に建造され、フレスコ画の『生神女の就寝』で有名で、西欧と東欧の融合が見られるもの。さらにノヴィ・パザルの近くにはセルビア最古の教会である聖ペテロ教会もあり、この地は文化の中心地でもありました。 ここではスタリ・ラスとソポチャニがなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、スタリ・ラスとソポチャニについて詳しくなること間違なし!

ストゥデニツァ修道院

ストゥデニツァ修道院/セルビアの世界遺産
画像素材:shutterstock

セルビア中央部のラシュカ郡にあるストゥデニツァ修道院は、12世紀後半に中世セルビア王国の創設者であるステファン・ネマニャによってストゥデニカ川の近くに設立されました。そして、彼自身もここで眠っています。そして、ステファン・ネマニャの息子である聖サヴァが1219年にここでセルビア正教会の教会を設立しました。ここはセルビア正教会の修道院としては最大級のもの。

敷地内には、生神女聖堂と王の聖堂という2つの聖堂があり、13〜14世紀のビザンチン様式の見事なフレスコ画で知られています。

詳細はこちら↓

あわせて読みたい
セルビアの世界遺産「ストゥデニツァ修道院」とは?世界遺産マニアが解説 セルビア中央部にあるストゥデニツァ修道院は、セルビア正教会の修道院としては最大級のもの。これらは12世紀後半に中世セルビア王国の創設者であるステファン・ネマニャによって設立されました。敷地内には、生神女聖堂と王の聖堂という2つの聖堂があり、13〜14世紀のビザンチン様式の見事なフレスコ画で知られています。 ここでは、ストゥデニツァ修道院がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ストゥデニツァ修道院について詳しくなること間違なし!

コソボの中世建造物群

コソボの中世建造物群/セルビアの世界遺産
画像素材:shutterstock

コソボ共和国は2008年にセルビアから独立宣言をした世界的には新しい国家でもあります。その領土にある4つの教会と修道院は、2004・2006年にセルビア領土の一部、コソボ・メトヒヤ自治州だった時代に、世界遺産として登録。

世界遺産に登録されている建造物は、セルビア王国(1171〜1346年)時代に建造され、その中でも「デチャニ修道院」は、セルビア正教会において最大の規模の修道院で、代表的なもの。

※コソボは世界遺産条約未締約であり、世界遺産センターではセルビアの世界遺産に分類しているため、ここでは「セルビアの世界遺産」として扱っています

詳細はこちら↓

あわせて読みたい
セルビアの世界遺産「コソボの中世建造物群」とは?世界遺産マニアが解説 コソボ共和国内にある4つのセルビア正教会が世界遺産に登録。もともとはバルカン半島最大規模の主聖堂を持つデチャニ修道院が2004年に登録されると、2006年にはグラチャニツァ修道院を含めて3つの教会と修道院が追加されました。現在は政情不安のため危機遺産に登録。 ここではコソボの中世建造物群がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、コソボの中世建造物群について詳しくなること間違なし!

ガレリウスの宮殿ガムジグラード=ロムリアーナ

ガレリウスの宮殿ガムジグラード=ロムリアーナ/セルビアの世界遺産
画像素材:shutterstock

ブルガリアの国境に近いザイェチャル市に残るガムジグラード。現在は小さな村ですが、郊外にはローマ皇帝ガレリウス(260〜311年)が3世紀後半から4世紀初頭にかけて彼の母ロムラのために建造された都市遺跡が残っています。

ここは彼の母ロムラのために建造された街で、都市名も彼女の名から「ロムリアーナ」と呼ばれていました。彼が引退後に過ごした宮殿跡を中心に要塞や教会、浴槽施設、寺院、記念碑などの遺構が残り、すべての床面がモザイクで装飾されているのが特徴。

詳細はこちら↓

あわせて読みたい
セルビアの世界遺産「ガレリウスの宮殿ガムジグラード=ロムリアーナ」とは?世界遺産マニアが解説 セルビア東部にあるガムジグラードは、ローマ皇帝ガレリウスが3世紀後半から4世紀初頭にかけて彼の母ロムラのために建造された街で、都市名も彼女の名から「ロムリアーナ」と呼ばれていました。ここは彼が引退後に過ごした宮殿跡を中心に要塞や教会、浴槽施設、寺院、記念碑などの遺構が残り、すべての床面がモザイクで装飾されているのが特徴。 ここではガレリウスの宮殿ガムジグラード=ロムリアーナがなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ガムジグラードについて詳しくなること間違なし!

中世墓碑ステチュツィの墓所群(ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、クロアチア、モンテネグロと共同)

中世墓碑ステチュツィの墓所群/セルビアの世界遺産
画像素材:Goldfinger(Wikimedia Commons)

ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア、モンテネグロ、クロアチアには中世の墓碑であるステチュティが点在し、これらは合計で7万を越え、12世紀後半から16世紀にかけて建造されたもの。

中世にこの地域はボスニア王国(1377〜1463年)によって支配されていて、当時のローマ・カトリックや東方正教会から異端とされていたボスニア教会に属する地域が多かったという点で、墓碑には独特の文化が見られます。

詳細はこちら↓

あわせて読みたい
ヨーロッパの世界遺産「中世墓碑ステチュツィの墓所群」とは?世界遺産マニアが解説 ステチュティは中世に築かれた墓碑のことで、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア西部、モンテネグロ西部、クロアチア中央部にある28もの墓所が世界遺産に登録されています。これらは12〜16世紀に作られたもので、ほとんどが石灰岩で建造され、この地方の伝統的な装飾や碑文が刻まれているのが特徴。 ここでは中世墓碑ステチュツィの墓所群がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ステチュツィについて詳しくなること間違なし!

世界遺産マニアの結論と感想

セルビアの世界遺産としては4件ではありますが、構成遺産として数えると5箇所も登録されています。ローマ遺跡から正教会の修道院まで幅広いジャンルの遺産があるのが魅力です!ぜひディープに楽しんでくださいね。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

この記事が気に入ったら
いいね または フォローしてね!

  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

目次