登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (3), (4) |
登録年 | 2018年 |
スペイン南部のコルドバの郊外にあるメディナ・アサーラは、かつてイベリア半島南部に存在していた後ウマイヤ朝のカリフ、アブド・アッラフマーン3世によって10世紀半に建造された離宮都市。しかし、1009〜1010年に破壊されてしまい、20世紀初頭に再発見されるまでそのまま埋まっていたため、保存状態が良く、アル・アンダルス(イスラム勢力に支配されていた時代のイベリア半島)時代の繁栄が今でも見られるのが特徴です。
ここではカリフ都市メディナ・アサーラ(ザフラー宮殿)がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、アサーラについて詳しくなること間違いなし!
カリフ都市メディナ・アサーラ(ザフラー宮殿)とは?
スペイン南部の大都市コルドバは、スペイン南部を支配したイスラム王朝・後ウマイヤ朝(756〜1031年)の首都であった場所。コルドバ郊外には、10世紀後半に最盛期のカリフ、アブド・アッラフマーン3世によって築かれた離宮を中心とした都市メディナ・アサーラがありました。
宮殿は30年以上もかけて建造され、アラビア語で「花」を意味する「ザフラー宮殿」と呼ばるほどで、東西1500m、南北700mもの広大なものでした。しかし、1009〜1010年に後ウマイヤ朝の内紛により破壊。20世紀初頭に発見されるまで、廃墟となっていました。
約1000年も忘れられていたため、保存状態は良好で、道路や水利施設、装飾、日用品まで当時のまま見られます。特にカリフの謁見の間(リコの間)が有名で、象牙とコクタンで作られたアーチが並び、植物文様の美しい壁など、豪華絢爛な宮殿の様子が残存。ここは現在消滅したアル・アンダルスの繁栄が今でも見られます。
カリフ都市メディナ・アサーラ(ザフラー宮殿)はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
メディナ・アサーラが評価されたのが、以下の点。
登録基準(iii)
メディナ・アサーラは、カリフによって計画された新しい都市で、後ウマイヤ朝の文化や建築様式などが見られ、アル・アンダルスの文明の発展を示すものであるということ。
登録基準(iv)
メディナ・アサーラは、建築、装飾、インフラ、景観、それぞれの技術を組み合わされた計画都市であり、10世紀の後ウマイヤ朝の繁栄が見られるという点。
世界遺産マニアの結論と感想
メディナ・アサーラは、10世紀当時の後ウマイヤ朝の繁栄が見られるもので、ここには建築や装飾、インフラなどの優れた技術が見られ、アル・アンダルスの高度な文明を示すものであるという点で評価されています。
ちなみに、アブド・アッラフマーン3世の息子であるハカム2世は優れた文化人で、ザフラー宮殿には40万近くの書物がある図書館があったとされます。しかし、彼は政治の面では宰相に任せっぱなしで、それからは宰相が力を持つようになり、後ウマイヤ朝の崩壊へと繋がったというのが通説。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。