登録区分 | 文化遺産 危機遺産2007年〜 |
登録基準 | (2), (3), (4) |
登録年 | 2007年 |
イラン中央部のティグリス川沿いにあるサーマッラーは、アッパース朝(750〜1258年)時代に一時的にバクダートから遷都し、首都になった都市。ここに9世紀建造の(当時は)世界最大規模だったモスクと、マルウィーヤと呼ばれる螺旋状のミナレットは有名ではありますが、モスクは外壁のみ現存。
ここでは都市遺跡サーマッラーがなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、サーマッラーについて詳しくなること間違いなし!
都市遺跡サーマッラーとは?
首都バクダートから北西約130kmに位置するサーマッラーは、西はチュニジアから東は中央アジアまで支配したアッバース朝の首都だった場所。8代目のカリフであるムウタスィム(794〜842年)は836年に当時の首都バクダートからこの地へと遷都し、892年まで首都として繁栄しました。ここはアッバース朝の都市遺跡の中でも、その都市設計が最もよく保存されていて、当時の建築物やモザイク、彫刻などが今でもよく残っています。
ここには「大モスク」が存在していて、縦240m、横160mと、9世紀当時は世界最大のモスクではありましたが、13世紀にモンゴル軍によって破壊され、現在は外壁のみ残存。これに付随する施設として、849〜852年に建造された「マルウィーヤ・ミナレット」は今でも残っています。これは螺旋指揮のミナレット(塔)になっていて、高さは53mもあり、螺旋状の階段を登って頂上までが登ることができるという構造。
危機遺産(危機にさらされている世界遺産)
「大モスク」は8割が未発掘であり、さらなる調査が期待されますが、2003年から始まったイラク戦争による政情不安のため、世界遺産に登録されたと同時に危機遺産となりました。ミナレットもアメリカ軍によって監視塔として利用されたため、レジスタンスの攻撃を受けて尖塔部が破壊されたこともあり、遺跡の調査は今でも中断されたまま。
都市遺跡サーマッラーはどんな理由で世界遺産に登録されているの?
サーマッラーが評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
サーマッラーは、モスクや装飾、街路などの都市構造、陶器産業の繁栄の跡などが見られ、アッバース朝時代建築の発展段階を示すものであるということ。
登録基準(iii)
大帝国を築いたアッバース朝の都市遺跡はレンガを使用しているため状態が悪いものの、サーマッラーはカリフによる都市計画と建築物が保存状態も良く残っているという点。
登録基準(iv)
サーマッラーの大モスクやマルウィーヤ・ミナレットは、イスラム建築における新しい芸術概念が見られ、モスクとしても独特なものになっていて、これらは当時のアッバース朝の権力と信仰を示すものであるということ。
世界遺産マニアの結論と感想
アッバース朝時代の都市遺跡はほとんど残っていないのですが、ここは当時の建築物や都市計画が見られるほどに保存状態がよく、それらは大帝国を築いたアッバース朝の権力やイスラム教の信仰を示すという点で評価されています。
ちなみに、9世紀に建造されたエジプトの首都カイロのイブン・トゥールーン・モスクは、アッバース朝の総督によって建造されただけに、カイロでは珍しく螺旋状の階段が付いたモスク。しかし、こちらは登ることができません。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。