登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (1), (2), (3) |
登録年 | 1985年(2008年拡大) |
ドイツ中央部にある都市ヒルデスハイムには、11世紀に司教のベルンヴァルトによってオットー朝のロマネスク様式の2つのアプス(後陣)を持つ聖ミカエル聖堂があります。近くにある聖マリア大聖堂は、再建されたものですが、神聖ローマ帝国のロマネスク様式の遺構が残っているということもあり、ここも合わせて世界遺産に登録。
ここではヒルデスハイムの聖マリア大聖堂と聖ミカエル聖堂がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、聖マリア大聖堂と聖ミカエル聖堂について詳しくなること間違いなし!
ヒルデスハイムの聖マリア大聖堂と聖ミカエル聖堂とは?
ドイツ北東部にあるニーダーザクセン州。南部に位置するヒルデスハイムは、815年頃にフランク王のルートヴィヒ1世(敬虔王)によって司教座が置かれました。10世紀にベルンヴァルトが司教に任命されると、街は学術や文化で繁栄し、聖ミカエル聖堂を建造。さらに近くにある聖マリア大聖堂も再建しました。これらは数少ない中世から残る芸術作品が見られるのが特徴。
聖ミカエル聖堂
街の中心部から少し外れた小さな丘の上に建造されたベネディクト派の聖堂。1010年から建造が開始し、神聖ローマ帝国で繁栄したオットー朝時代のロマネスク様式の建造物で、2つのアプス(後陣)を東西に置くという対象的な構造であり、4つの角には尖塔がそれぞれ配置されています。回廊やクワイア(聖歌隊席)には13世紀に描かれた天井画が残っており、他ではこの時代のものはほとんど残っておらず、大変貴重なもの。
ベルヴァルトは1022年に死亡しまいますが、彼の後継者によって大聖堂は完成します。その後、宗教改革が発生し、ここはルーテル派の教会となったものの、カトリック教会は地下聖堂をそのまま利用したため、現在でもカトリック教会に属しています。その後、第二次世界大戦時に破壊されるも1957年に再建。
聖マリア大聖堂
聖ミカエル聖堂のすぐそばに位置し、ここは11世紀に火災で崩壊したもの、ベルンヴァルトによって再建。オットー朝ロマネスク様式の設計となっていて、第二次世界大戦時に破壊されてしまい、1950〜1960年にかけて再建されたもの。
よって、ここには11世紀の旧約聖書とキリストの物語を描いた青銅製の扉や、キリストの生涯を浮き彫りを施した聖堂の柱などの遺物しか残されていませんが、これらはドイツにおいて重要な大聖堂であったということを示すものでもあります。
ヒルデスハイムの聖マリア大聖堂と聖ミカエル聖堂はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
聖マリア大聖堂と聖ミカエル聖堂が評価されたのが、以下の点。
登録基準(i)
青銅製の柱や聖ミカエル聖堂の天井画など、この地方独自の芸術作品で見られるという点。
登録基準(ii)
聖ミカエル聖堂は中世ヨーロッパの建築の発展に大きな影響を与えたということ。
登録基準(iii)
ヒルデスハイムの聖マリア大聖堂と聖ミカエル聖堂に残る芸術作品は、西ヨーロッパのキリスト教世界における装飾美術において先駆け的な存在であったという点。
世界遺産マニアの結論と感想
聖マリア大聖堂と聖ミカエル聖堂は、ほとんどが再建されたものですが、一部の遺構や芸術作品からは西欧のキリスト教における装飾美術が早い段階で発展したもので、中世のヨーロッパの建築の発展に大きな影響を与えているという点で評価されています。
ちなみに、聖マリア大聖堂の中庭の壁には、樹齢1000年の「千年のバラ」と呼ばれるイヌバラがあり、世界でも最も樹齢の長いバラと考えられています。第二次世界大戦時でも奇跡的に生き残ったもので、このバラが咲く限りヒルデスハイムは繁栄するという伝説もあるとか。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。