ブルガリアの世界遺産「イヴァノヴォの岩窟教会群」とは?世界遺産マニアが解説

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登録区分文化遺産
登録基準(2), (3)
登録年1979年

ブルガリア北部、ルーマニアとの国境近くにあるルセンスキー・ロム川沿いの断崖には、岩窟を利用した教会と修道院が多く築かれてきた地。これらは13世紀ころから修道士によって築かれ、内部には当時の首都であるタルノヴォで流行したタルノヴォ派のフレスコ画が残っていて、中世ブルガリアの成熟した文化が今でも見られます。

ここではイヴァノヴォの岩窟教会群がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、イヴァノヴォの岩窟教会群について詳しくなること間違いなし!

目次

イヴァノヴォの岩窟教会群とは?

画像素材:shutterstock

ルーマニアとの国境にある都市・ルセから南へ約24kmの位置にあるイヴァノヴォ。ここは13世紀ころから修道士によって断崖などを削って岩窟を造り出し、教会が築かれてきました。そして、14世紀にブルガリア正教会総主教が暮らすようになると、多くの修道士たちが暮らすようになり、岩窟の僧房や礼拝堂が築かれ、周辺を含め300ほどの施設が集まる宗教都市になりました。

ここは第二次ブルガリア帝国(1185〜1396年)の皇帝たちが寄進を行ったこともあり、岩窟教会内には、当時の首都であるタルノヴォで流行したタルノヴォ派のフレスコ画が描かれました。しかし、14世紀にブルガリアがオスマン帝国の侵攻すると、その規模は徐々に縮小していき、やがて放棄されます。ほとんどの岩窟は風化や天災によって崩壊し、現在フレスコ画が残る教会は5箇所のみ。それでもここに残るフレスコ画は、当時の主軸だったビザンツ美術から逸脱し、表現力が非常に豊かで、中世ブルガリアの傑作でもあります。

イヴァノヴォの岩窟教会群はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

画像素材:shutterstock

イヴァノヴォの岩窟教会群が評価されたのが、以下の点。

登録基準(ii)
14世紀に建造された岩窟教会のフレスコ画は、ブルガリアの中世美術の傑作が見られるもので、キリスト教色が強いビザンツ美術とはまた異なる、古代ギリシャにルーツを持つヘレニズムの技法とも密接に関わっていて、構図などが非常に大胆であるということ。

登録基準(iii)
イヴァノヴォの岩窟教会群は、第二次ブルガリア帝国からオスマン帝国による支配されるまで、ここには礼拝堂や修道院など、壮大な自然環境の中で造られ続けたという点。

世界遺産マニアの結論と感想

イヴァノヴォは第二次ブルガリア帝国に皇帝や貴族たちから寄進を受け、断崖で囲まれた地に300を超える施設が並んでたというもので、今でも少しだけ残るフレスコ画は中世ブルガリア美術の傑作であるという点で評価されています。

ちなみに、近隣にあるルセは、19世紀後半にオスマン帝国から独立した際は、ブルガリアの経済と文化の中心地であったのですが、その後何度か衰退しつつ、今に至ります。現在はブルガリアでも第5の人口を誇る都市ではありながら、街は壮麗なクラシカルな建築物が多く残るのはそういった理由でもあります。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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