イタリアの世界遺産「チェルヴェーテリとタルクイーニアのエトルリア墓地遺跡群」とは?世界遺産マニアが解説

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登録区分文化遺産
登録基準(1), (3), (4)
登録年2004年

エトルリア人はイタリア半島に住んでいた先住民で、イタリア中部にある2つの墓地遺跡は、紀元前9〜1世紀までさまざまなタイプの墳墓が並びます。特にチェルヴェーテリの近くにあるバンデタッチャのネクロポリスは、まるで都市のように円形や家屋のような形をした墳墓が見られ、タルクイーニア近郊のモンテロッツィ地区には6000もの墳墓が並び、200の彩色された墳墓も残存。

ここではチェルヴェーテリとタルクイーニアのエトルリア墓地遺跡群がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、エトルリア墓地遺跡群について詳しくなること間違いなし!

目次

チェルヴェーテリとタルクイーニアのエトルリア墓地遺跡群とは?

バンデタッチャのネクロポリス/チェルヴェーテリ
画像素材:shutterstock

エトルリア人は紀元前9世紀〜紀元前1世紀にイタリア半島に暮らしていた先住民族で、やがて古代ローマ人と同化するものの、地中海北部で都市文明を築き、ローマ人によってエトルリア人の文化は継承されていきました。おもにイタリア中部を中心に彼らの遺構が見られますが、中部ラツィオ州にあるにチェルヴェーテリ郊外のバンデタッチャとタルクイーニア近郊のモンテロッツィに残る墳墓群が世界遺産に登録。

チェルヴェーテリ郊外のバンデタッチャのネクロポリスは、円形や家屋のような形をした墳墓が道路沿いに何千も並び、墓地であるのにもかかわらず、まるで「人が住んでいる都市」を再現したもの。ここは資料が少ないエトルリア人の建築物が見られるという点で貴重です。タルクイーニア近郊のモンテロッツィ地区には、岩に切り込まれた6000もの墓が並び、200もの彩色された墓があることで有名で、最も古いのは紀元前7世紀に遡るというほど。

これらは地中海に存在したローマ時代以前の古典的な芸術作品でもあります。ルネサンス期の芸術家であるミケランジェロはタルクイーニアを訪れ、その姿をスケッチに描いたりと、ネクロポリスは何世紀にも渡ってその存在が知られるものでもありました。

チェルヴェーテリとタルクイーニアのエトルリア墓地遺跡群はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

バンデタッチャのネクロポリス/チェルヴェーテリ
画像素材:shutterstock

エトルリア墓地遺跡群が評価されたのが、以下の点。

登録基準(i)
バンデタッチャのネクロポリスは古代都市と同じ都市計画が見られ、モンテロッツィ地区の壁画は古代エトルリア人の生と死、宗教的な概念が表現され、これらは人類の創造的才能を表現する傑作であるという点。

登録基準(iii)
チェルヴェーテリとタルクイーニアのエトルリア墓地遺跡は、ローマ時代以前のイタリアで唯一の都市文明・エトルリア文明の証拠を残すもので、その墓に描かれたフレスコ画はかつての日常生活が描写されているということ。

登録基準(iv)
チェルヴェーテリとタルクイーニアの墳墓の多くは、他の地域では見られない建造物で、エトルリア人の都市を再現した墳墓群はこの地域で最も古い墳墓の一つであるという点。

世界遺産マニアの結論と感想

チェルヴェーテリとタルクイーニアのエトルリア墓地遺跡群は、古代ギリシャとはまた異なるエトルリア独自の文明を示し、墓で描かれたフレスコ画などからは彼らの生活が垣間見られるという点評価されています。

ちなみに、エトルリア人は動物の内臓、おもに肝臓を使って占う「臓卜師(ぞうぼくし)」という専門職がいて、内臓の色や形で天候や吉兆を判断していたそう。実は古代ローマでも皇帝お抱えの臓卜師がいて、古代では割とメジャーな占いだったそうな。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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