登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (2), (3), (4) |
登録年 | 2016年 |
トルコ東部のアルメニア国境付近の渓谷に位置する都市遺跡は、中世にバグラトゥニ朝アルメニア(885〜1045年)の首都であった場所。ここはシルクロードの関所として繁栄し、ビザンツ帝国とセルジューク朝、グルジア王国に支配された時期も交易の拠点となりました。その後、モンゴルの侵略と1319年の地震によって衰退。現在は7〜13世紀にかけて発展した中世の建築物が多く見られる遺跡となっています。
ここではアニの考古遺跡がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、アニについて詳しくなること間違いなし!
アニの考古遺跡とは?
アニはトルコの北東部のカルス市から東に約42kmの位置にあり、現在のアルメニアとの国境でもある峡谷沿いに建造されたシルクロードの商業都市でもありました。ここは文化と商業の中心地でもあり、キリスト教徒やイスラム教徒によって何世紀にも渡って利用されたため、宗教と軍事的な要素が組み合わさった建築物が並びます。
集落としての歴史は古く、もともとは要塞が存在。9世紀にバグラトゥニ朝アルメニアが誕生すると、10〜11世紀にかけてここが首都となり、シルクロードの関所として繁栄しました。その後、ビザンツ帝国とセルジューク朝、グルジア王国の支配下に置かれるものの、キャラバンの拠点としてその地位を維持します。しかし、13世紀にモンゴル帝国の侵攻と1319年の大地震によって街は壊滅。その後は交易ルートも変化し、徐々に衰退すると、18世紀にはここは放棄されます。
遺跡は、内側のシタデル(要塞)と、城壁内の都市、城壁外の建造物と3つのエリアに分かれることができます。特にバクラトゥニ朝時代はアルメニア教会が多く建造され、「アニ主教座大聖堂」は989〜1001年にかけて三方後陣型のドームを持つバシリカ様式で造られ、後にモスクとして利用されたものの、現在もゴシック様式の外観が見られます。この地に残る公共の建造物や邸宅、そして、ゾロアスター教とキリスト教、イスラム教の影響を受けた宗教建築は、コーカサス地方で発展したさまざまな伝統の建築様式の融合が見られるのも特徴。
アニの考古遺跡はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
アニが評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
アニの建造物のデザイン、素材、装飾には、アルメニア、グルジア、イスラム文化の影響が見られ、異文化間の交流によって生まれた、新しい建築言語でもありました。この新しいデザインと技術、装飾はアナトリア半島とコーカサスの建造物にも影響を与えていったという点。
登録基準(iii)
アニの考古遺跡は、アルメニアの文化や芸術、建築、都市設計の発展が見られ、この地には建築技術とデザイン、素材の面においても優れているアルメニアの宗教建築が存在したということ。
登録基準(iv)
アニは7〜13世紀に渡ってこの地域で発展した軍事、宗教、公共の建造物があり、4〜8世紀に渡るアルメニア教会の建築様式の発展がすべて見られるという珍しいもの。ここは火山性凝灰岩の台地を利用し、そのデザインと質、記念碑的要素を含めて中世の建築においても重要な例であったという点。
世界遺産マニアの結論と感想
アニの考古学遺跡は、バグラトゥニ朝アルメニアの首都であったたために、アルメニアの建築だけでなく、文化や芸術の発展が見られ、他にもさまざまな地域の王朝から支配を受けたために、それぞれの文化を取り入れていき、独自の建築様式を築くと、やがてアナトリアやコーカサスに広まっていったという点で評価されています。
ちなみに、アニの起点ともなるカルス市は高原にあるだけあって、養蜂で有名で、市内にはハチミツやさんがたくさん。特にハチミツを巣ごと味わえる「巣蜜」が多く売られているのが特徴。遺跡見学の帰りにどうぞ。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。