登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (1), (4), (6) |
登録年 | 2004年 |
ヨルダンの中部にあるウム・アル=ラサスは、3〜9世紀にローマ、ビザンツ帝国、初期イスラム時代まで利用されていた都市の遺跡。ここには16の教会跡が残っていて、聖ステファン聖堂の床のモザイクを含め、保存状態の良いモザイク張りの床面が見られます。遺跡の北に残る四角柱の塔はかつて塔の上で苦行をするという登塔者たちの修業の跡地で、世界でも唯一現存するもの。
ここではウム・アル=ラサスがなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ウム・アル=ラサスについて詳しくなること間違いなし!
ウム・アル=ラサスとは?
ヨルダンの西部に位置するマダバ県の南東は半乾燥地帯。ウム・アル=ラサスは、もともとは3世紀ころにローマ軍の駐屯地あった場所で、5世紀には街へと発展したものの、9世紀以降は廃墟となり、要塞や建築物跡が残っていますが、まだほとんど発掘されていません。ここはビザンツ帝国から初期イスラム時代に築かれた集落が残っていて、16の教会には保存状態の良いモザイクの床面があることで知られます。特に聖ステファン聖堂のものは当時のパレスチナやエジプトの街の絵地図が描かれていて、ギリシャ文字で地名を知るされていることから芸術的な価値というだけでなく、地理の記録としても重要。
都市遺跡の北側には、高さ14mの四角柱の塔が残されていて、これは登塔者と呼ばれる禁欲僧が塔の上で修行をするという場所でもあります。碑文からは7〜8世紀のイスラム時代でもキリスト教の信仰が許容されていたというのも特徴。他にも水路や貯水湖、段々畑の跡など、古代から農業が行われたということも示しています。
ウム・アル=ラサスはどんな理由で世界遺産に登録されているの?
ウム・アル=ラサスが評価されたのが、以下の点。
登録基準(i)
ウム・アル=ラサスは、聖ステファン教会のモザイクの床面は芸術的であり、技術的にも人類の創造が見られる傑作であるという点。
登録基準(iv)
ウム・アル=ラサスは、登頂者たちが利用した四角錐の塔がほぼ完璧に残っているということ。
登録基準(vi)
ウム・アル=ラサスは、この地域全体におけるイスラム教を含む一神教や修道生活の普及と深く関連しているという点。
世界遺産マニアの結論と感想
ウム・アル=ラサスはビザンツ帝国時代からキリスト教の中心地で、街には美しいモザイクがある教会が残り、登塔者などの修行が行われた地であり、イスラムを含め一神教や修道生活の起点として繁栄した場所として評価されています。
ちなみに、現在はイスラム国家であるヨルダンですが、マダバには預言者モーセが約束の地を一望したとされるネポ山など、旧約聖書に登場する地名も今でも残っています。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。