登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (2), (6) |
登録年 | 2014年 |
ロシア西部のヴォルガ川の岸辺に位置するボルガル遺跡。「ボルガル」とはブルガールの現地読みで、ここは7〜13世紀に繁栄したヴォルガ・ブルガール王国の最初の首都であり、さまざまな民族の文化交流が見られる建築物が並んでいます。この地では10世紀にイスラム教を受け入れ、ボルガルは現在もここに住むタタール人の重要な巡礼地。
ここではボルガルの歴史的考古学的遺産群がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ボルガル遺跡について詳しくなること間違いなし!
ボルガルの歴史的考古学的遺産群とは?
ロシア連邦を構成するタタールスタン共和国にあるボルガルは、カマ川とヴォルガ川の合流点から40kmほど離れた町。現在は小さな町ですが、ここは7〜13世紀に繁栄したヴォルガ・ブルガール王国の最初の首都であり、中世に繁栄した様子が現在も見られる場所。13世紀にモンゴル軍によって破壊されるも、その後もジョチ・ウルス(1242〜1502年)の首都となり、カザン・ハン国(1438〜1552年)の時代も交易の中心地でもありました。
ボルガル遺跡は、ブルガール人のようなテュルク語族だけでなく、スラブ人やフィン・ウゴル人によるユーラシア大陸間の文化的交流が見られるもの。特にヴォルガ・ブルガール王国、カザン・ハン国、ロシア時代に至るまで、遊牧民の文化と都市の市民の文化が融合した景観が広がっています。
遺跡には、モスクやミナレット、貴族の霊廟、カザン・ハン国時代の宮殿や浴場跡、キリスト教の聖堂などが点在しています。13世紀半頃に建造されたとされる「カテドラル・モスク(テトラゴン)」はシンボル的なモスクですが、これは14世紀までに改築されたもので、当時のまま残るのは床や壁などの一部のみ。高さ10mほどの「小ミナレット」は14世紀建造で、建設当時の姿を残す唯一の建造物とされています。
ボルガルは922年にヴォルガ・ブルガール王国がイスラム教を受け入れたことから、現在もこの地に住むタタール人によって巡礼地でもあるというのも特徴。
ボルガルの歴史的考古学的遺産群はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
ボルガル遺跡が評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
ボルガルの歴史的考古学的遺産群は、この地における文化的伝統と何度か変化していった支配者よる文化の融合が見られ、これらは建築物や都市設計に反映されています。特にテュルク語族、スラブ人やフィン・ウゴル人などとの文化交流を示していて、森林の多いエリアで見られる木造建築やテュルク語族による草原に住む遊牧民の要素、イスラム教による影響、さらにロシア統治時代におけるヨーロッパとロシアの建築様式が含まれているという点。
登録基準(vi)
922年にヴォルガ・ブルガール王国によってイスラム教が国教となったことで、ボルガルはイスラム教徒であるタタール人やその他のイスラム教徒が今でも訪れる巡礼地とあり、ここは北方のイスラム教徒の共同体の中でも最初期の飛び地であるということが証明されるもの。このような事情もあり、周囲の文化や建築の発展に影響を与えたということ。
世界遺産マニアの結論と感想
ボルガルは、ユーラシア大陸の東西を結ぶ場所であるために、古くから遊牧民によって影響され、建築様式や宗教などもこの地に伝わり、それらは現在でも建築物に影響を与えられています。そして、ヴォルガ・ブルガル王国によって古くからイスラム教が国教とされていたために、現在も巡礼地であり、建造物は周囲にも影響を与えたという点で評価されています。
ちなみに、現在のヨーロッパにある国家・ブルガリアの基礎を作ったのはドナウ・ブルガールという現在のウクライナ付近を拠点としていたブルガール人の一派。6〜7世紀にかけて西方に移動した一派は、現在のブルガリア人となり、北方に移動した一派によってヴォルガ・ブルガールが建造されました。現在は両者ともかなり遠いところに住んでいますが、もともとの民族的ルーツは同じというのは面白いですよね。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。