ペルーは、アンデス山脈が南北に貫いている地ではあるのですが、南米でも高度な文明が発展した場所でもあります。特にインカ帝国は、南米でも最大級の規模を誇る国家で、インカの空中都市であるマチュピチュは南米でも屈指の人気を誇る遺跡。
しかし、ペルーの遺跡はマチュピチュだけではない!国内で世界遺産として登録されている遺跡はいくつあるでしょうか?ここでは世界遺産に登録された遺跡を世界遺産マニアが一覧にして分かりやすく解説していきましょう。
目次
神聖都市カラル=スーペ(カラル遺跡)
画像素材:shutterstock首都リマから北西へ約140kmの位置にあるカラル=スーペは、乾燥した砂漠地帯を流れるスーペ川の渓谷沿いに築かれた都市。紀元前3000年〜紀元前2000年ころに設立されたとされるほどに古く、ここは500年ほど人が住んでいたとされ、アメリカ大陸でも最古とされる文明の一つ。
ここには巨大なピラミッドやキープと呼ばれる組み紐も発見されていて、優れた文明を持つ国家であったという証拠を残しています。
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あわせて読みたい ペルーの世界遺産「神聖都市カラル=スーペ(カラル遺跡)」とは?世界遺産マニアが解説 ペルーの沿岸部に位置するカラル遺跡は、アメリカ大陸でも最古とされる文明の一つで、紀元前3000〜2000年ころに起源があるというほどの都市遺跡。ここは巨大なピラミッドやキープと呼ばれる組み紐も発見されていて、優れた文明を持つ国家であったという証拠を残しています。 ここでは神聖都市カラル=スーペ(カラル遺跡)がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、カラル=スーペ について詳しくなること間違なし! チャビンの考古遺跡(チャビン・デ・ワンタル)


画像素材:shutterstockチャビンの考古遺跡(チャビン・デ・ワンタル)は、ペルー中央部のアンカシュ県ワリ群にある遺跡。ここはペルーの首都リマから北へ約250kmの山奥にあります。チャビン文化は、紀元前10世紀〜紀元前3世紀に栄えた文明で、チャビン・デ・ワンタルは当時のアンデスの宗教の中心地であり、巡礼地でもあったと考えられます。
ここはアンデス文明の起源ともされる場所で、敷地内には正方形の神殿があり、最奥部にはジャガーを擬人化した主神体ランソン像があります。
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あわせて読みたい ペルーの世界遺産「チャビンの考古遺跡(チャビン・デ・ワンタル)」とは?世界遺産マニアが解説 ペルー中部にあるブランカ山脈の東側、標高3200mに位置するチャビンの遺跡は紀元前1500年頃〜紀元300年頃に繁栄したアンデス文明の起源ともされる場所。敷地内には正方形の神殿があり、最奥部にはジャガーを擬人化した主神体ランソン像があります。ここはチャビンの文化の中心でもあったと考えられる場所。 ここではチャビンの考古遺跡(チャビン・デ・ワンタル)がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、チャビンの考古遺跡について詳しくなること間違なし! リオ・アビセオ国立公園


画像素材:Gato Montes(Wikipedia Commons)ペルー北部にあり、アンデス山脈の東斜面に広がる広大な公園で、合計で2745平方kmにも及ぶほど。ここはアマゾン川の支流であるマラニョン川とワジャガ川に挟まれた地で、人がほぼ住むことがない雲霧林を保護しています。
標高2500〜4000mのアンデス山脈の急斜面には紀元前6000年前から人が住んでいたとされていて、その住居遺跡には紀元前10世紀〜紀元16世紀頃まで人が暮らしていたと考えられています。ここには36もの遺跡があり、高山の草原地帯には29ヶ所、森林地帯には7ヶ所点在しています。
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あわせて読みたい ペルーの世界遺産「リオ・アビセオ国立公園」とは?世界遺産マニアが解説 ペルー北部にあるリオ・アビセオ国立公園は、アマゾン川上流に位置する熱帯雨林には、固有種が多く存在し、絶滅したとされる黄色の尾を持つヘンディーウーリーモンキーが発見されたことで有名な場所。ここは標高2500〜4000mのアンデス山脈の急斜面にはインカ帝国以前に建造された住居遺跡が広がっています。 ここではリオ・アビセオ国立公園がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、リオ・アビセオ国立公園について詳しくなること間違なし! チャンキーヨの天文考古学遺産群


画像素材:Ewicho(Wikimedeia Commmons)ペルー北西部にあるアンカシュ県。カスマ・セチン盆地にある沿岸砂丘の遺跡はチャンキーヨと呼ばれていて、ここには要塞や13基の塔、観測所が残っています。
13基の塔は南北に並べられていて、その両端には観測所があり、1年を通じて太陽がどの塔から昇るかを地平線を観測し、太陽周期から暦を数えていました。これは現在の太陽暦と1〜2日しかずれていなかったというほどに正確なもの。
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あわせて読みたい ペルーの世界遺産「チャンキーヨの天文考古学遺産群」とは?世界遺産マニアが解説 チャンキーヨはペルーの北西海岸沿いにある沿岸砂丘に築かれた、紀元前3世紀頃建造の遺跡。丘の上に沿って13の塔が並んでおり、ここは天文台として利用されたものとされていて、太陽が塔から昇る位置で正確な日付を計測していたと考えられています。 ここではチャンキーヨの天文考古学遺産群がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、チャンキーヨついて詳しくなること間違なし! ナスカとパルパの地上絵


画像素材:shutterstockペルー南部のイカ県に位置する小さな町ナスカ。ここはペルーの南海岸に貫く丘陵地帯とアンデス山脈の間にある盆地。町の郊外には紀元前2世紀〜後6世紀に描かれたという地上絵があります。
地上絵があるエリアは約450平方kmもあり、ここにはなんと1500以上の地上絵が残存。そして、ナスカの地上絵の北側にはパルパというもう一つの地上絵が点在するエリアも広がっています。
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あわせて読みたい ペルーの世界遺産「ナスカとパルパの地上絵」とは?絵が消えない理由とその謎を世界遺産マニアが解説 首都リマから南へ約400km。ナスカという小さな町の郊外には紀元前2世紀〜後6世紀に描かれたという地上絵があります。地上絵があるエリアは約450平方kmもあり、ここにはなんと1500以上の地上絵が残存。そして、ナスカの地上絵の北側にはパルパというもう一つの地上絵が点在するエリアも広がっています。 ここでは、ナスカとパルパの地上絵がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めばナスカとパルパの地上絵について詳しくなること間違なし! チャンチャン遺跡地帯


画像素材:shutterstockペルー北西部ラ・リベルタ県のトルヒーリョ市郊外にあるチャンチャン遺跡。ここは複数の川の流域のある肥沃な土地で、かつて約1000kmもの海岸線を支配し、最盛期に人口が約10万人もの人口を誇ったチムー王国の首都でもありました。
遺跡にはアドベ(日干しレンガ)の高い壁で築かれた「シウダデラ」と呼ばれる方形の区画が今でも残っていて、これは都市機能が分割されていたということを残す証拠でもあります。
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あわせて読みたい ペルーの世界遺産「チャンチャン遺跡地帯」とは?世界遺産マニアが解説 ペルー北西部にあるチャンチャン遺跡は、かつてこの地域を支配したチムー王国(900年頃〜1470年頃)の首都であった場所。ここは内陸部のインカ帝国に滅ぼされ、廃墟になりました。遺跡にはアドベ(日干しレンガ)の高い壁で築かれた「シウダデラ」と呼ばれる方形の区画が今でも残っていて、これは都市機能が分割されていたということを残す証拠でもあります。 ここではチャンチャン遺跡地帯がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、チャンチャンについて詳しくなること間違なし! クスコ市街


画像素材:shutterstockクスコは標高3400mもの位置にある高原都市。13世紀になると、インカ帝国の前身となるクスコ王国が開かれ、ここが首都となりました。しかし、16世紀にスペイン人征服者によって街は破壊。
インカの築いた建造物は、石積みがあまりにも精巧で、土台部分は破壊できず、そのまま利用することに。よって上部はスペイン風の建造物なのに対し、基礎部分はインカ時代の石積みの土台という独自の建築様式になりました。インカ帝国の石積み技術は、大地震が発生しても壊れることがなく、カミソリ一つも入らないほど精巧な造り。
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あわせて読みたい ペルーの世界遺産「クスコ市街」とは?その標高と場所も含めて世界遺産マニアが解説 ペルー東部・アンデス山脈にある大都市クスコは、かつてインカ帝国の首都として栄えました。クスコ王国の第9代サパ・インカ(皇帝)パチャクテクの時代に最盛期を迎えたものの、16世紀にスペイン人征服者によって街は破壊。彼らはインカの都市を土台にしてバロック様式の教会や宮殿を作ったため、独特の景観が残る都市となりました。 ここでは、クスコ市街がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、クスコについて詳しくなること間違なし! マチュ・ピチュの歴史保護区


画像素材:shutterstockペルーの東側、アンデス山脈とアマゾン盆地の間に位置するマチュ・ピチュの都市遺跡。マチュ・ピチュとは、ケチュア語で「年老いた峰」を意味していて、隣のワイナ・ピチュ(若い峰)の間に築かれた都市遺跡一帯を、一般的に「マチュ・ピチュ」と呼びます。
なぜ建設されたかは今でもはっきりしないのですが、敷地内に残る巨大な神殿や灌漑施設などは、インカ帝国の技術力の高さが伺えるもの。そして、周囲は手つかずの自然が残されていて、絶滅危惧種を含む動植物も見られるため、複合遺産として登録されています。
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あわせて読みたい ペルーの世界遺産「マチュ・ピチュの歴史保護区」とは?遺跡と歴史を含めて世界遺産マニアが解説 マチュ・ピチュは、ペルーの東側、アンデス山脈に囲まれた標高2430mの位置にある都市遺跡。なぜ建設されたかは今でもはっきりしないのですが、敷地内に残る巨大な神殿や灌漑施設など、インカ帝国の技術力の高さが伺えるもの。そして、周囲は手つかずの自然が残されていて、絶滅危惧種を含む動植物も見られるため、複合遺産として登録されています。 ここでは、マチュ・ピチュの歴史保護区がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、マチュ・ピチュについて詳しくなること間違なし! カパック・ニャン アンデスの道(コロンビア、エクアドル、ボリビア、チリ、アルゼンチンと共同)


画像素材:shutterstockカパック・ニャンは、インカの人々によって数百年にも渡って築かれ、北からコロンビア、エクアドル、ペルー、ボリビア、チリ、アルゼンチンにまたがる3万kmの街道。ここは約6000m級の山々、熱帯雨林、渓谷、砂漠などを通る、世界でも最大規模の道路網でもあります。
カパック・ニャンはインカ帝国の首都であったペルーの都市・クスコの広場から、東西南北に延びる4つの道が主要道路で、インカ道はその主要道路を細かくカバーするようになっていました。
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あわせて読みたい 「カパック・ニャン アンデスの道(インカ道)」とは?世界遺産マニアが解説 カパック・ニャン(インカ道)は、6ヶ国にまたがった道の遺産。これは標高6000m級の山々を中心に3万kmにもなる街道で、これらはインカ帝国の交通を支えていました。273もの構成遺産からなるシリアル・ノミネーション・サイトで、地域住民によって保護されてきたというのも特徴です。 ここではカパック・ニャン アンデスの道がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、インカ道について詳しくなること間違なし! 世界遺産マニアの結論と感想
ペルーといえば、マチュピチュが有名ですが、実は南米でも最古級の遺跡が多く残っているんです。ナスカの地上絵はまだまだ謎が多く、古代史ミステリーに浸るにもぴったり!ぜひディープに楽しんでくださいね。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。