登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (2), (3), (6) |
登録年 | 2008年 |
イラン北西部にある聖タデウス修道院、聖ステファノス修道院、生神女マリア聖堂の3つの建造物が世界遺産に登録。これらはかつてこの地がアルメニア王国(世界で初めてキリスト教を公認した国)に属していた時期に建造され、アルメニア正教会(使徒協会)の布教を目的とした施設でした。
ここではイランのアルメニア人修道院建造物群がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、アルメニア人修道院建造物群について詳しくなること間違いなし!
イランのアルメニア人修道院建造物群とは?
イラン北西部は、かつてアルメニア王国(紀元前190年〜428年)の領土で、この国家は301年に世界で初めてキリスト教を公認した国で、キリスト教の一派であるアルメニア使徒教会が広く信仰されていました。この3つの修道院と聖堂は信仰の中心地として繁栄した足跡を残すもの。ここはペルシャ(現イラン)やビザンツ、ギリシャ正教会、イスラム諸国などとの交流を続け、独自の文化を築いてきました。
世界遺産としては、西アーザルバーイジャーン州の聖タデウス修道院、東アーザルバーイジャーン州の聖ステファノス修道院と生神女マリア聖堂の3つで構成されています。ここは地震が多く、聖タデウス修道院は7世紀に建造されたものの、何度も修復・再建され、維持されてきました。
登録されている構成資産
聖タデウス修道院
西アーザルバーイジャーン州の小さな街、マークーの郊外に位置する修道院。14世紀に地震によって崩壊し、現在の修道院はその時期に再建された時の構造が利用され続けています。
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聖ステファノス修道院
東アーザルバーイジャーン州の都市ジョルファの郊外にする修道院。アラス川の渓谷に築かれた修道院で、伝説では1世紀にイエスの十二使徒の一人、聖バルトロマイがこの地で教会を建造したとされています。
この地に初めて修道院が建造されたのは7世紀とされるものの、その後地震や戦争で何度も破壊。17世紀にサファヴィー朝がこの地を支配するようになると、現在見られる修道院が再建されました。その後も何度か修復されています。
イランのアルメニア人修道院建造物群はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
アルメニア人修道院建造物群が評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
イランのアルメニア人修道院建造物群は、アルメニアの建築と装飾の伝統が残り、これらはビザンツやギリシャ正教会、ペルシャなど、他のエリアの文化との交流が見られるという点。
登録基準(iii)
アルメニアの文化圏の中でも南東部に位置する修道院は、この地域におけるキリスト教文化の中心地であり、修道院と聖堂は保存状態もよく、現在はイスラム教徒が多く住むエリアにおいて過去にその文化が存在したという最後の証拠となっているということ。
登録基準(vi)
アルメニア人修道院建造物群は、イエス・キリストの十二使徒の一人、聖タダイ(タデウス)がこの地で布教して殉教したという伝説があり、アルメニア正教会ではその伝統を重視していて、現在でも巡礼地であるという点。
世界遺産マニアの結論と感想
イラン北西部は、イエス・キリストの十二使徒の一人、聖タダイが布教した地とされ、アルメニア正教会では聖タダイが今でも崇拝されています。この地は現在はイスラム教徒が大多数ですが、かつてアルメニア正教会の勢力下にあり、キリスト教文化の中心地でありました。ここに残る3つの建造物は保存状態がよく、周辺国の文化と融合して独自の文化が築かれたという点で評価されています。
ちなみに、アルメニア人にとっては現在も聖地のため、毎年多くのアルメニア人が聖タデウス修道院を訪れます。それは「聖タデウス修道院への巡礼」として無形文化遺産としても登録されているんですよ。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。