京都府の世界遺産「金閣寺(鹿苑寺)」とは?建てた人物やその歴史を含めて世界遺産マニアが解説

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登録区分文化遺産
登録基準(2),(4)
登録年1994年

金閣寺は「古都京都の文化財」の構成資産の一つ。正しい名称は「鹿苑寺(ろくおんじ)」ではありますが、黄金の金閣は世界的に有名ですね。ところで、金閣寺はなぜ世界遺産なのでしょうか?意外と知ってそうで知らない!

ここでは金閣寺がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、金閣寺(鹿苑寺)について詳しくなること間違いなし!

目次

金閣寺(鹿苑寺)とは?その歴史をわかりやすく解説

金閣寺の正式名称は「北山鹿苑禅寺(ほくざんろくおんぜんじ)」

金閣寺(鹿苑寺)
画像素材:shutterstock

北区にある臨済宗相国寺派の寺院。金箔が貼られた舎利殿があることから金閣寺と呼ばれますが、これは通称であり、正しくは「鹿苑寺(ろくおんじ)」です。山号は北山(ほくざん)であることから、正式名称は「北山鹿苑禅寺(ほくざんろくおんぜんじ)」。

金閣寺はいつ建てられた?

金閣寺(鹿苑寺)
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1225年に藤原公経が現在の金閣寺一帯に西園寺という寺を建立し、代々西園寺家が管理していましたが、鎌倉幕府滅亡後に当主の西園寺公宗が処刑されると、ここは荒れ地となっていました。1397年に室町幕府の3代将軍・足利義満(1358〜1408年)が、この地を買い取ると山荘を建造し、ここは政治の中枢となったのです。

1399年には舎利殿(金閣)が完成。彼の死後、1420年に禅寺となり、彼の法号である「鹿苑院殿(ろくおんいんどの)から「鹿苑寺」と名付けられました。舎利殿は1950年まで存在していましたが、放火によって炎上し、すべて焼失。現在のものは1952年に復元されたもの。

金閣寺を建てた足利義満とはどんな人物?

金閣寺(鹿苑寺)
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足利義満は室町幕府の3代目征夷大将軍。南北朝の統一を果たし、彼の時代は勘合貿易で大いに栄え、室町時代の最盛期でもありました。1397年に義満が北山にあった西園寺を譲り受けると、ここに北山山荘(北山殿)という住居を築き、当時は御所にも匹敵する規模であったことから、彼はこの地で政務を執っていました。1399年に金閣(舎利殿)が完成すると、公家文化と武家文化の合わさった「北山文化」の中心地に。

彼の死後、義満の妻である北山院日野康子の御所となるも、1419年に彼女が死去すると、金閣以外はすべて解体されました。それもあり、当時の建物は残っていません。

金閣(舎利殿)は金箔が何枚塗られている?

金額の構造は?建築様式はさまざま

金閣寺(鹿苑寺)
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金閣は3階建ての楼閣建築となっていて、高さは12.5m。二層と三層は純金の箔が貼ってあることはあまりにも有名。これらは1987年に厚みのある約20万枚の金箔を貼られたもの。各階はそれぞれ建築様式が異なっていて、一層は寝殿造り、二層は武家造り、三層は中国風の禅宗仏殿造りとなっていて、北山文化を代表する建造物となっています。

舎利殿は炎上して崩壊した?現在の建造物は再建されたもの

金閣寺(鹿苑寺)
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1950年に放火によって炎上し、金閣はすべて焼失したものの、頂上にあった鳳凰像と「究竟頂(くっきょうちょう、仏舎利を安置する場所」の額だけは残されました。1955年に過去の解体修理時の時に描かれた図面や写真、古文書などをもとに再建されています。

一方、消失前の金閣は三層のみ金箔が貼られていましたが、実は二層にはもともと金箔は貼られておらず、明治時代の解体修理の際、二層の一部に金箔が貼られていた跡があったことから、再建時はここにも金箔が塗られました。

「金閣寺鳳凰」とは一体何?その意味は?

金閣寺鳳凰
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金閣の屋根にあった鳳凰像は「金閣寺鳳凰」と呼ばれ、古来より鳳凰は永遠の命と権力の象徴。なぜ鳳凰像が置かれたのかはさまざまな説があるものの、義満自身は権力のトップにあったこと、さらに天子(天皇)=鳳凰を示し、彼の息子であった義嗣を後継者にして、さらには天皇の座をも狙っていたという説もあり、「皇位簒奪」を意図していたのではないか?とも言われています。現在の鳳凰像は3代目で1987年に再建されたもの。

庭園の池に映る「逆さ金閣」

庭園/金閣寺(鹿苑寺)
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庭園は金閣を水面に映す鏡湖池(きょうこち)を中心とした池泉回遊式庭園となっています。ここは全国でも珍しい「特別史跡及び特別名勝庭園」に登録されていて、池に映る金閣は「逆さ金閣」として有名。池に浮かぶ島々は、日本各地から持ち運ばれた石が点在し、中には「赤松石」や「細川石」など、当時の有力大名の名前が刻まれたものも。

金閣寺(鹿苑寺)はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

金閣寺(鹿苑寺)
画像素材:shutterstock

金閣寺が評価されたのが、以下の点。

登録基準(ii)
京都は8〜17世紀にかけて、宗教と世俗的な建築様式や庭園設計が発展した場所であり、日本伝統文化の形成に貢献してきました。そして、庭園設計は19世紀以降、世界中に大きな影響を与えたという点。

登録基準(iv)
京都の文化財に見られる建築と庭園設計は、日本の前近代の文化における最高の表現であるということ。

世界遺産マニアの結論と感想

金閣寺は通称ではありますが、ここは日本建築史における傑作でもあり、その庭園を含めて日本を代表する景観が広がっているという点で評価されています。

ちなみに、一休さんのとんち話で有名な「屏風の虎退治」は、虎が夜な夜な屏風から飛び出て暴れるので一休さんに退治を命じるのですが、それを依頼したのは「足利義満」となっています。しかし、実際の一休さんと義満は30歳くらい年の差があり、そもそも一休さんこと一休宗純(いっきゅうそうじゅん)が子供の頃には義満は既に将軍職を引退していたので、あくまでもこれはフィクション。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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