登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (4) |
登録年 | 1978年 |
ポーランド南部にあるヴィエリチカとボフニャの岩塩坑は13世紀から使用されていました。ここで採掘される塩はポーランドにおいては重要な産業となり、塩坑道はヨーロッパの採掘技術の発展が見られるもの。そして、地下にある礼拝堂では塩で作られた芸術作品などが見られるのが特徴です。
ここでは、ヴィエリチカとボフニアの王立岩塩坑群がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ヴィエリチカとボフニアについて詳しくなること間違いなし!
ヴィエリチカとボフニアの王立岩塩坑群とは?
かつてポーランド王国の首都であったクラクフから南東へ約15km。ヴィエリチカの岩塩坑は岩塩鉱床という、かつての塩湖だった場所の地下に塩水が溜まって形成される地形を利用したもので、ここは13世紀〜20世紀後半まで稼働し、ヨーロッパでも最初期に造られた岩塩坑があった場所。さらにクラクフから南東へ約50kmの距離にあるボフニアの岩塩坑跡も2013年に拡大登録されています。
古くからヴィエリチカには岩塩があるということは知られていましたが、12世紀末に当時のポーランド王カジミエシュ2世が城壁を築き、1250年には国営企業にしました。そして、14〜16世紀には、ここで採掘された岩塩の売上はポーランド王国の収入の3分の1を占めるというほど。
岩塩坑は、1790年になると観光ルートとして3.5kmが整備され、ここには神話や歴史上の人物などを型どった塩の彫像が並んでいます。かのショパンやコペルニクスも訪れたことも。20世紀後半に廃坑になるまでに、深さは地下327m、全長はなんと300km以上にもなりました。
登録されている主な構成資産
聖キンガ礼拝堂
聖キンガとは、ハンガリーからポーランド王に嫁いだ王妃のこと。彼女は独身でいるつもりだったため、婚約指輪をルーマニアの岩塩坑に捨ててしまったのですが、それがなんと現在のヴィエリチカで発見され、それがきっかけで地下の岩塩庄が見つかったという伝説があります。
ここは地下101mの坑道の跡に築かれた礼拝堂で、レリーフや彫像、シャンデリアまですべてが塩で作られているというもの。壁に飾られている、レオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』までも塩で再現されています。
ヴィエリチカとボフニアの王立岩塩坑群はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
ヴィエリチカとボフニアが評価されたのが、以下の点。
登録基準(iv)
この2つの岩塩坑は、13〜20世紀にかけて、地下室や道具、機械などを含め、ヨーロッパにおける採掘技術の発展を示しているという点。
世界遺産マニアの結論と感想
かつてはポーランド経済を支えた岩塩坑は、経済の基盤だけあって13〜20世紀にかけて最新技術を施して坑道を整備したという点で評価されています。
ちなみに、聖キンガの指輪について、ルーマニアの岩塩坑に捨てたのになぜポーランドで見つかったのか?これについては、既にヴィエリチカでは、岩塩採掘がスタートしており、そこに倉庫があったため、ルーマニアで採掘され、運ばれた塩がたまたまヴィエリチカに置かれてたというのが理由だったらしいです。奇跡というよりも「偶然」の要素のほうが強かったみたいですが。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。