岩手県の世界遺産「観自在王院跡」とは?世界遺産マニアが解説

登録区分文化遺産
登録基準(2), (6)
登録年2011年

観自在王院跡(かんじざいおういんあと)は「平泉―仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群―」の構成資産の一つ。ここは2代・藤原基衡の妻が建設した寺院跡で、浄土を表した庭園の遺構が見られます。ところで、観自在王院跡はなぜ世界遺産なのでしょうか?意外と知ってそうで知らない!

ここでは観自在王院跡がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、観自在王院跡について詳しくなること間違いなし!

目次

観自在王院跡とは?

観自在王院跡
画像素材:shutterstock

奥州藤原氏、2代の基衡(もとひら)の妻によって建立された寺院跡。毛越寺の隣にあり、当時は大小2つの阿弥陀堂に金や銀で作られた仏壇があり、豪華絢爛なものであったとされます。庭園は背後にそびえる金鶏山と一体になっていて、浄土を表現した設計でもありました。

しかし、1573年に伽藍は消失。現在は建築物はほぼ残っておらず、遺構になっています。中心にあったとされる「舞鶴が池」があった場所は現在でも分かっていて、当時の区画が少し分かるようになっているのが特徴。

観自在王院跡はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

観自在王院跡
画像素材:shutterstock

観自在王院跡が評価されたのが、以下の点。

登録基準(ii)
中国や朝鮮半島から伝来した仏教が、12世紀に浄土思想として、日本古来の自然崇拝と融合し、平泉で花開いたという点。

登録基準(vi)
平泉には浄土(仏国土)を空間的に演出した建築物や庭園の理念が存在したという点。

世界遺産マニアの結論と感想

観自在王院跡は遺構ではあるものの、平安時代末期の浄土庭園の様子が現在も見られ、当時の庭園様式が見られる貴重な場所であるという点で評価されています。

ちなみに、観自在王院を建造した基衡の妻は、奥州で力を持っていた安倍氏の一族だったと考えられています。実は基衡の父である清衡(きよひら)の母も安倍氏の出身ですが、安倍氏は前九年の役(1051〜1062年)の時に清原氏に滅ぼされてしまうのです。それもあり、安倍氏をルーツに持つ基衡は、兄である藤原惟常(ふじわらのこれつね)が清原氏にルーツを持っていることから、彼を抹殺して、政権を握った…という背景もあり、かなり血なまぐさい歴史でもあります。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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