登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (2), (3), (6) |
登録年 | 2000年 |
識名園は「琉球王国のグスク及び関連遺産」の構成資産の一つ。識名園は首里城近くにある琉球庭園で、迎賓館のような役割がありました。ところで、識名園はなぜ世界遺産なのでしょうか?意外と知ってそうで知らない!
ここでは識名園がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、識名園について詳しくなること間違いなし!
識名園とは?
首里城から約1.5km南の位置にある王家の庭園だった場所。ここは第二尚氏の尚穆(しょうぼく、1739〜1794年)によって造園されたとされますが、完成したのは次代の1799年。
庭園は、回遊式庭園という日本独自の様式が見られる一方、中国風のあずまやもあり、中国と日本独自の建築様式が合わさっているのが特徴。ここは中国からの使者が訪れた際に使用する迎賓館のような役割だったとされています。庭園は沖縄戦でほとんどが破壊されたため、現在見られる建造物はほぼ復元されたもの。
識名園はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
識名園が評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
琉球列島は、数世紀に渡って中国、韓国、東南アジア、そして日本との経済や文化的交流の中心地として発展し、それは現存する建造物によって示されているという点。
登録基準(iii)
琉球王国の文化は、その環境において独自に発展し、繁栄したということ。
登録基準(vi)
斎場御嶽など、琉球王国時代から続く聖地は、現在でも住民たちに自然崇拝や先祖崇拝の場として大切にされているという点。
世界遺産マニアの結論と感想
識名園は、琉球庭園の代表的なもので、中国との交流が見られるというのが特徴で、琉球の文化がよく分かるという点で評価されています。
ちなみに、庭園内にある小高い丘「観耕台」は、海は見えませんが、周囲の田畑が一望できるというもの。これは琉球の国土の広さをアピールするためのものだったらしく、中国からの使者がそれを称えてその名前を付けたというエピソードも。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。