メキシコの世界遺産「テンプロ・マヨール」とは?世界遺産マニアが解説

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登録区分文化遺産
登録基準(2), (3), (4), (5)
登録年1987年

テンプロ・マヨールは「メキシコシティ歴史地区とソチミルコ」の構成遺産の一つ。街の中心部にあった巨大なピラミッド型の神殿跡で、ここはアステカ帝国時代の建築物や暮らしなどが分かるという点で大変貴重。ところで、テンプロ・マヨールはなぜ世界遺産なのでしょうか?

ここではテンプロ・マヨールがなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、テンプロ・マヨールについて詳しくなること間違いなし!

目次

テンプロ・マヨールとは?

テンプロ・マヨール
画像素材:shutterstock

首都メキシコ・シティの地下には、アステカ帝国(1325〜1521年)の首都テノチティトランが埋まっています。テノチティトランは、もともと盆地の上の湖を開拓して造られた都市でもありました。歴史地区の中心であるソカロの北東には遺跡として保護されているエリアがあります。

ここは1520年代にエルナン・コルテス(1485〜1547年)によって破壊されると、地下に埋没。1978年に地下鉄の工事をしていたところ、女神コヨルシャウキの円板が発見され、その後、メキシコ政府によってピラミッドの下の基壇部分が発掘されました。現在では、この基壇部分だけが露出しています。

テンプロ・マヨール

テンプロ・マヨールとは、スペイン語で「大神殿」という意味で、ここはテノチティトランの宗教儀礼が行われていた聖域。7層のピラミッド型の神殿が2つ並べられていて、北側は雨と豊穣の神トラロック、南はアステカの太陽神・軍神であるウィツィロポチトリが祀られています。

ピラミッド型の神殿は支配者によって1390年ころから1520年代まで拡張され、高さは40〜50mにも達したというほど。春分には2つの神殿の間から太陽が登るような仕組みがあったとされれいます。

テンプロ・マヨール
画像素材:shutterstock

神殿の前には、かつて頭蓋骨置き場(ツォンパントリ)や球技場、学校などがあったとされ、広大な宗教施設だったと考えられています。遺構としては、15世紀の「鷲の戦士」と呼ばれた貴族階級の戦士団の宮殿跡があり、当時の塗装の名残が残っているのも特徴。

遺跡では奉納物が多く発見されていて、発掘された出土品は、遺跡の近くにある博物館に展示。遺跡の発掘のきっかけとなったコヨルシャウキの円板もここで展示されています。

テンプロ・マヨールはどんな理由で世界遺産に登録されているの?

テンプロ・マヨール
画像素材:shutterstock

テンプロ・マヨールが評価されたのが、以下の点。

登録基準(ii)
14〜19世紀にかけて、この地はテノチティトランからメキシコシティへと変わり、アステカ帝国の建築技術などが植民地時代の建設物にも影響を与えているという点。

登録基準(iii)
地下に埋没していたテンプル・マヨールは、この地でかつて繁栄したアステカ文明の存在を示すということ。

登録基準(iv)
広場を中心として碁盤の目のように通路が配されるという都市設計は、植民都市を代表するモデルであるという点。

登録基準(v)
ソチミルコの農業風景は、スペインによる征服前のメキシコ高原の暮らしを彷彿とさせるというものであるということ。

世界遺産マニアの結論と感想

テンプロ・マヨールは、かつてのアステカ帝国の街の姿をそのまま残していて、当時の繁栄が分かるという点で評価されています。

ちなみに、アステカ帝国には、鷲の戦士もいればジャガーの戦士もいて、身分としてはジャガーの戦士よりも低かった様子。それもあり、勇ましいジャガーの戦士に比べ、戦場では捕虜などを捕まえて手柄を立てていたという少し情けない面も。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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