カンボジアの世界遺産「アンコール遺跡」とは?アンコール・ワットを含めて世界遺産マニアが解説

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登録区分文化遺産
登録基準(1),(2),(3),(4)
登録年1992年

アンコール遺跡は、カンボジア北西部のジャングルに400平方kmも広がる広大な遺跡群のこと。ここは9〜15世紀までインドシナ半島一帯で栄えたクメール王朝の王都があった場所。世界遺産の登録範囲は、最も有名なアンコール・ワットや、広大なアンコール・トムなどの寺院建築が含まれます。

ここでは、アンコール遺跡がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、アンコール遺跡について詳しくなること間違いなし!

目次

アンコール遺跡とは?アンコール・ワットは含まれるの?

アンコール・ワット
画像素材:shutterstock

カンボジア北西部のシェムリアップ州の州都シェムリアップ。この町の郊外には、東南アジアで最も有名な遺跡の一つであるアンコール遺跡があります。アンコールとは「街」という意味で、9〜15世紀まで栄えたクメール王朝の王都があった場所。

クメール人による王朝は9世紀に開かれ、現在のアンコール遺跡があった場所に都を築くと、歴代の王は即位する度に寺院や城を建設していきました。それらは「クメール美術」として、東南アジア各地の建築物に影響を与えていったのです。

遺跡は400平方kmもの広大な敷地に、無数の寺院、貯水池、運河などが含まれています。特にクメール建築を代表するアンコール・ワット、アンコール・トムに残る仏教寺院であるバイヨン寺院、女神が祀られたヒンドゥー教の寺院・パンテアイ・スレイなど、これらはかつてインドシナ半島一帯を支配した広大な文明の存在を証明するもの。ここはクメール王朝の首都として、文化や宗教の中心地でもありました。

登録されている主な構成遺産

アンコール・ワット

アンコール・ワット
画像素材:shutterstock

12世紀前半にスーリヤヴァルマン2世に建造された、アンコール遺跡最大の寺院。クメール語で「アンコール(都)」の「ワット(寺院)」という意味で、幅190mの堀に囲まれ、面積は2平方kmの広大な寺院になっています。寺院の構造は、三重の回廊に囲まれた5つの祠堂が並ぶ配置。これはヒンドゥー教における宇宙観を示しています。

5つの祠堂は、神々が住む須弥山(メール山)を示しています。中央には約65mの高さを誇る塔を持ち、ヴィシュヌ神が祀られていたとされているものの、現在は仏像が置いてありますが、これは16世紀に仏教寺院に変更されたという名残。第一回廊には、インドの叙事詩『マーバーラタ』や『ラーマーヤナ』、建設者であるスーリヤヴァルマン2世の姿などをモチーフにした美しいレリーフが見られます。

アンコール・トム

アンコール・トム
画像素材:shutterstock

12世紀後半、ジャヤーヴァルマン7世によって建造された城砦都市の遺跡。「トム」はクメール語で「大きい」といったことを意味し、防御を重視して建造されたもの。都市は城壁に囲まれており、中央には須弥山(メール山)を模したバイヨン寺院があります。中央祠堂をはじめ、塔の周囲に4つの人面像が多く配されていて、これは「クメールの微笑み」と呼ばれる独特の建築様式。

アンコール・ワットはヒンドゥー教寺院ですが、ジャヤーヴァルマン7世は仏教を信仰したため、バイヨンは仏教寺院となっています。ここには仏教施設が多いというのも特徴。

タ・プローム

タ・プローム
画像素材:shutterstock

12世紀に建造された寺院で、これもジャヤーヴァルマン7世による建造物。仏教寺院として造られたものの、のちにヒンドゥー教寺院となりました。しかし、ガジュマルの木が建設物全体に食い込んでいるため、独特の景観を作り出しています。

バンテアイ・スレイ

バンテアイ・スレイ
画像素材:shutterstock

他の都市に比べて建造が古く、アンコール朝初期の10世紀に建造されたヒンドゥー教寺院。アンコール遺跡の北東部に位置しています。建物の素材は、ラテライトと赤の砂岩なので全体的に紅色。「女の砦」を意味する寺院で、女神デヴァター像は「東洋のモナリザ」と言われるほどに美しい曲線で見られます。

アンコール遺跡はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

アンコール・ワット
画像素材:shutterstock

アンコール遺跡が評価されたのが、以下の点。

登録基準(i)
アンコール遺跡は、アンコールワット、バイヨン寺院、パンテアイ・スレイなど、9〜15世紀までのクメール美術の傑作が見られるということ。

登録基準(ii)
アンコールで発展したクメール美術は、東南アジア全域で影響を与え、各地で独自に発展していったという点。

登録基準(iii)
密林に残る遺跡は9〜15世紀に東南アジアの大部分を支配したクメール王朝の存在を示しているということ。

登録基準(iv)
クメール様式の建築は、各地で独特の進化を遂げ、結果的に東南アジアの建築と美術の新しい様式を生み出していったということ。

世界遺産マニアの結論と感想

アンコール遺跡は、インドシア半島一帯を支配したクメール朝の存在を示す証拠であり、そのクメールの建築技術は、タイなど周辺の国々の建築物に大きな影響を与えていったという点で評価されています。

ちなみに、17世紀に朱印船貿易で多くの日本人もこの地に立ち寄ったのですが、当時の彼らは釈迦が住んでいた「祇園精舎」だと勘違いしていました。まぁ、当時は既にクメール王朝は滅んでいたし、アンコール・ワットは既に仏教寺院に改装されていたので、勘違いしてもしょうがないのですが…。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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