登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (2), (4) |
登録年 | 2015年 |
三角西港(みすみにしこう)は「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産の一つ。宇土半島の先端にあり、近代的湾港として日本最古のもの。ところで、三角西港はなぜ世界遺産なのでしょうか?意外と知ってそうで知らない!
ここでは三角西港がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、三角西港について詳しくなること間違いなし!
三角西港とは?
熊本県宇城市三角町にある湾港。宇土半島の先端にあり、西港(旧港)と東港が分かれていますが、世界遺産に登録されているのは西港だけ。現在の荒尾市にある三池炭鉱では明治時代から石炭が多く採掘され、三池港が1908年に完成する前は、大型船舶が寄港できる積出港がなく、三角港まで鉄道で石炭が運ばれていました。
三角港は1887年に開港した港で、近代的港湾としては日本最古でもあります。西港は明治時代にオランダ人技師ローウェンホルスト・ムルデル(1848〜1901年)によって設計され、ここは天然の良港でありました。しかし、1899年に宇土市から東港を結ぶ三角線が開通したため、西港は衰退。
そのような背景もあり、当時築かれた埠頭や石橋、排水路などがそのまま現存していて、保存状況も良好。とはいえ、水路は海水がすべて届かず、本来の役割を果たせなかったともされています。
三角西港はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
三角西港が評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
明治日本の産業革命遺産は、江戸時代から続く封建社会であった日本が19世紀半から西欧の技術によって20世紀初頭まで短期間で世界有数の工業国となり、そのノウハウや技術など、東アジアの工業化において影響を与えたという証拠である点。
登録基準(iv)
日本各地に残る鉄鋼、造船、石炭の産業拠点は、世界の歴史において、西欧諸国以外で初めて近代化に成功し、西欧技術の採用により、地元の技術革新と合わせて日本独自の工業化を反映した産業遺産であったということ。
世界遺産マニアの結論と感想
三角西港は、明治の三大築港と呼ばれるほどに近代湾港としては日本最古のもので、オランダ人技師による設計であり、水路などが整備され、当時としては高い技術力が見られるという点で評価されています。
ちなみに、港に残る浦島屋は平成に再建されたものですが、長崎のグラバー邸を設計した小山秀之進の作とされていて、外観は洋館風なのに和の要素が見られたりと、明治時代のレトロな雰囲気が漂う建物。ここは小泉八雲(1850〜1904年)が滞在したこともあり、1階はカフェギャラリー・ラフカディオ(「ラフカディオ」は八雲のミドルネーム)という休憩所もあります。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。