登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (2),(5) |
登録年 | 1999年 |
来遠橋(らいえんばし)は「ホイアンの古い町並み」の構成資産の一つ。16世紀後半に建造された、中華街と日本人町を結んでいた太鼓橋で「日本橋」とも呼ばれ、現在も当時の姿を残しています。ところで、来遠橋はなぜ世界遺産なのでしょうか?意外と知ってそうで知らない!
ここでは来遠橋がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、来遠橋について詳しくなること間違いなし!
ホイアンの来遠橋(日本橋)とは?
ホイアン旧市街でも西側に位置する橋で、ベトナム語では現在「橋寺」と呼ばれ、橋の中に祠があるという珍しい構造。幅3m、長さ18mの瓦屋根のある太鼓橋です。ホイアンは貿易港であったため、江戸時代初期までは日本人も多く暮らしていました。ここは1593年に日本人町の住民たちが、川を挟んで隣接していた中華街を結ぶために建造した橋。
来遠橋は、1719年に当時この地を支配していた広南国(1558〜1777年・1780〜1802年)の国王が論語から名付けた名前。19世紀になると、交易の中心が北部のダナンに移行すると、街は衰退したためにベトナム戦争時も戦闘もなく、当時の姿を残しています。現在の橋は当時のままではなく、7回も改修されたもの。
ホイアンの来遠橋(日本橋)はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
来遠橋が評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
ホイアンは、さまざまな文化が融合した国際的な商業港であったという点。
登録基準(v)
伝統的なアジアの貿易港がよく保存されているという点。
世界遺産マニアの結論と感想
ホイアンは16世紀から19世紀まで交易で繁栄し、旧市街では当時の国際港の様子を今でもよく残していて、来遠橋もその一部として評価されています。
ちなみに、2019年には橋の内部の柱が損傷し、2022年から修復中。今度の改修で8回目ですが、今後は橋の訪問者を制限も検討していて、オーバーツーリズム対策もされる予定だとか。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。