登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (1),(2),(4) |
登録年 | 2001年 |
レギスタン広場は「サマルカンド‐文化交差路」の構成資産の一つ。ここはマドラサ(神学校)が広場を囲むように並び、それぞれ青を中心とした美しい装飾が施され、まさに「青の都」を代表するエリアです。ところで、レギスタン広場はなぜ世界遺産なのでしょうか?
ここではレギスタン広場がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、レギスタン広場について詳しくなること間違いなし!
レギスタン広場とは?
現在もサマルカンドの旧市街の中心であり、レギスタンとは「砂地」という意味で、もともとバザールなどが開かれた公共広場でした。ここは謁見式だけでなく、罪人の処刑の場としても利用されたもの。
実はティムールが暮らしていた時代はバザールだけがあって、現在の姿になったのは17世紀のシャイバーニー朝時代から。3つの神学校が広場を囲むように建つのが特徴。
ウルグ・ベク・マドラサ
広場の西側に位置するマドラサ(神学校)。ここはティムール(1336〜1405年)の孫であり、ティムール朝の第4代ウルグ・ベク(1394〜1449年)によって1417年に建造。彼自身が天文学であったため、入口のタイルは星型をモチーフにしています。
内部は宿舎であり、教室であったため、教師と生徒が多く暮らしていました。ここの運営費は北側のティリャー・コリー・モスク・マドラサにあったキャラバンサライ(隊商宿)の売上であったとされています。
シェル・ドル・マドラサ
広場の東側に位置するマドラサ(神学校)で、ここは1636年に完成し、隣のウルグ・ベク・マドラサを模倣したという説もあり、左右対称になるかのように立っています。
「シェル・ドル」とはライオンが描かれたという意味で、入口のアーチにはライオンの絵柄があることで有名。イスラム建築において動物などが描かれるのは非常に珍しいこと。しかし、建築家はその責任をとって自害したという伝承もあります。
ティリャー・コリー・モスク・マドラサ(ティラカリ・マドラサ)
広場の北側にあるマドラサで、1660年に建造。ここはウルグ・ベクによって建造されたキャラバンサライがあった場所に築かれました。
他の2つと比べると特殊な建築で、内部にはモスクがあり、サマルカンドの主要な礼拝所となっていた場所。「ティラカリ」は「金箔された」という意味で、礼拝所の天井は金箔を3kgも使った壮麗なもの。
レギスタン広場はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
レギスタン広場が評価されたのが、以下の点。
登録基準(i)
文化の交差路であったサマルカンドの建築物と町並みは、イスラム建築の傑作であるという点。
登録基準(ii)
サマルカンドの建造物は、地中海からインドまで各地のイスラム建築に影響を与えていたということ。
登録基準(iv)
サマルカンドの旧市街に見られる建築物や都市構造などは、13世紀から現在まで、中央アジアの文化が発展するまでの重要な段階を示しているという点。
世界遺産マニアの結論と感想
レギスタン広場は、ティムール朝時代から開発され、3つのマドラサが並ぶ広場はイスラム建築の最高峰であり、各地のイスラム建築に影響を与えているという点で評価されています。
ちなみに、ウルグ・ベク・マドラサの扉には「向学心こそ、ムスリムになくてはならぬもの」という格言が記されていて、王であり、学者であった彼らしいメッセージでもありますね。まぁ、ここを訪れるほとんどの人が旅行者であると思うので、少し現実に戻されるのですが…。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。