登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (1),(2),(3),(4) |
登録年 | 1985年 |
ヒッポドローム(コンスタンティノープル競馬場)は「イスタンブール歴史地域」の構成資産の一つ。ここは古代から東ローマ帝国時代まで長きに渡って利用されていた競馬場で、3つの記念碑が並ぶというのが特徴的。ところで、ヒッポドロームはなぜ世界遺産なのでしょうか?
ここではヒッポドロームがなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ヒッポドロームについて詳しくなること間違いなし!
ヒッポドローム(コンスタンティノープル競馬場)とは?
イスタンブールの旧市街の中心とも呼べるスルタンアフメト広場には、古代の競馬場(ヒッポドローム)が存在し、遺構は地下に埋まっています。競馬場は古代ローマよりも古く、ビュザンティオンと呼ばれた、ギリシャ人の都市だった時代から存在していました。現在の競馬場は3世紀に築かれましたが、4世紀にコンスタンティヌス1世(270年代前半?〜337年)によって大幅に修復され、観客席は10万人も収容できたというほど。トラックで行われたのは戦車競走で、庶民だけなく、皇帝までも熱狂したとされています。
13世紀に十字軍によってコンスタンティノープルが略奪されると徐々に衰退し、15世紀のオスマン帝国時代は廃墟となり、広場として利用されました。
遺構は地下に埋もれていますが、当時置かれていた記念碑は今でもいくつか見られます。4世紀にギリシャのデルフィから取り寄せた「蛇の柱」、エジプトのルクソールにあるカルナック神殿から運んできた「トトメス3世のオベリスク」、10世紀に建造した「コンスタンティノス7世のオベリスク」の3つの記念碑が設置されていることで有名。
ヒッポドローム(コンスタンティノープル競馬場)はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
ヒッポドロームが評価されたのが、以下の点。
登録基準(i)
アヤ・ソフィアやスレイマニエ・モスクなど、ビザンツ帝国やオスマン帝国時代の傑作が多く残るという点。
登録基準(ii)
テオドシウスの城壁は軍事建築、アヤソフィアは大聖堂の建築様式やモスクのモデルとなったりと、ヨーロッパと中東各国の芸術や建築様式に影響を与えたということ。
登録基準(iii)
イスタンブールの旧市街に残る建築物はビザンツ帝国とオスマン帝国時代にここが繁栄していた様子がよく分かり、特にスレイマニエ・モスクやゼイレク・モスク周辺の伝統的住宅はオスマン帝国後期の都市設計などが見られるという点。
登録基準(iv)
各時代の建築物が残るイスタンブールは街全体が建築史そのものであるということ。
世界遺産マニアの結論と感想
ヒッポドロームは、古くから存在する競馬場跡で、ここはローマ帝国時代には王族から庶民のエンタメ施設であり、各地から集められた記念碑を含めて、この街の繁栄の様子がよく分かるという点で評価されています。
ちなみに、トラックの北西端にはチケット売り場があり、その上には4頭の金メッキを施された馬の彫像があったのですが、これは13世紀に十字軍によって、イタリアのヴェネツィアへと持ち運ばれました。それは街の中心部にあるサン・マルコ大聖堂で、正面入口の上に置かれたものの、現在はレプリカです。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。