登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (1),(2),(3),(4),(5),(6) |
登録年 | 1987年 |
ヴェネツィアは、イタリア東部にある潟(ラグーン)に浮かぶ島に築かれた街。ここは5世紀に設立され、街は118の小さな島で構成されています。10世紀になると海上交易で栄え、やがて「アドリア海の女王」と呼ばれように。運河や橋で構成されたユニークな都市構造は、街全体が芸術作品ともいうべき遺産です。
ここでは、ヴェネツィアとその潟がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ヴェネツィアについて詳しくなること間違なし!
ヴェネツィアとその潟とは?

ヴェネト州の州都ヴェネツィアは、潟(ラグーン)に浮かぶ118の島で構成される海上都市。ヴェネツィアの街は小さな島々から構成されていて、中心部には全長約3.8kmにもおよぶ「カナル・グランデ(大運河)」が通り、400の橋と150を越える大小の運河でそれぞれの島を結んでいます。よって、車の乗り入れができないため、島内の移動は水上バスかタクシー、ゴンドラのみ。
どのように町を作ったかというと、潟の上に丸太の杭を打ち込むことで土台を作り、イストリア石(石灰質の石)をのせて基盤を作っています。しかし、これは時間が経つと地盤沈下が発生する上に、地球温暖化の影響で海面上昇によって水没する可能性があるのです。

町の起源は5世紀とされていますが、本格的に建物が作られるようになったのは7世紀ころ。もともとはフン族やランゴバルド人などの異民族の襲撃から守るために、潟の上に町を築いたというのが理由。小さな島に築かれた町はやがて統合し、8世紀にはヴェネツィア共和国として独立します。9世紀には聖マルコの聖遺物が持ち込まれ、これが町のシンボルとなり、紋章にもなりました。
10世紀から、アドリア海沿岸を支配下に置き、国は徐々に拡大。13世紀には、東地中海全域を支配する巨大な海洋国家となりました。しかし、15世紀になるとオスマン帝国が地中海に進出してくると、18世紀にはナポレオンの侵略によって1100年続いたヴェネツィア共和国は崩壊。現在はイタリア共和国に属し、その独特の景観が世界中に知られるようになると人気の観光都市に。
登録されている主な構成遺産
サン・マルコ大聖堂

9世紀に聖マルコの聖遺物が持ち込まれると、ここに大聖堂が築かれました。聖マルコとは「聖マルコの福音書(新約聖書中の一書)」の執筆者とされていて、彼が町のシンボルとなり、紋章にも刻まれるほど。火災により焼失するも、11世紀にビザンツ様式で再建されます。内部は黄金に輝くモザイク画などが見どころ。
ドゥカーレ宮殿

ヴェネツィア共和国時代に総督が住む邸宅として使用されていた建築物。8世紀創建ですが、14〜16世紀にゴシック様式で再建されました。大評議会の間には、幅22mのヴェネツィア派のティントレットの傑作『天国』があることでも有名。16世紀には、ドゥカーレ宮殿と裏側の牢獄へと結ぶ「ため息橋」がかけられ、牢獄に入れられる前に最後の景色が見られるポイントでもあったので、ここで「ため息をつく」ということからこの名前が付けられました。
リアルト橋

カナル・グランデに架かる壮麗な橋で、16世紀に建造されたもの。このあたりはヴェネツィアでも古いエリアで、商業の中心地でもありました。橋の上には商店が並び、観光名所となっています。
カ・ドーロ(フランケッティ美術館)

15世紀に建造された貴族の屋敷。かつては外壁に金箔が施されていたことから、カ・ドーロ(黄金の館)と呼ばれていました。ゴシック様式の建築物で、ヴェネツィアで最も美しい建築物とされています。
ヴェネツィアとその潟はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

ヴェネツィアが評価されたのが、以下の点。
登録基準(i)
潟(ラグーン)に浮かんでいるように見えるヴェネツィアは、世界でも建築物の傑作が並ぶ都市の一つであるという点。
登録基準(ii)
ヴェネツィアの都市構造は、アドリア海や東地中海の都市に大きな影響を与えたということ。
登録基準(iii)
かつて世界中の海と文化をつないだヴェネツィアは、現在でも存在し続けているという点。
登録基準(iv)
町にはヴェネツィア共和国時代の技術を示す建築物が多く残るということ。
登録基準(v)
ヴェネツィア周辺の潟(ラグーン)は、独特の生態系を持ち、これを利用した漁村や小屋、耕作地なども価値が高いという点。
登録基準(vi)
マルコ・ポーロが世界を地中海を越えて世界を冒険したように、ヴェネツィアの商人の開拓精神は、人類の歴史の発展に貢献したということ。
世界遺産マニアの結論と感想

ヴェネツィアの特徴として、文化遺産の登録基準が(i)〜(vi)まですべて揃っているということ。町の建築物の美しさはもちろん、東地中海の沿岸都市のモデルとなったことや周辺の潟(ラグーン)も評価も高く、マルコ・ポーロのように開拓精神を持った商人を生んだという人々の気質までもが評価されているのがポイント。こんな世界遺産は、中国・敦煌にある莫高窟くらいしかなく、大変貴重です。
ちなみに「ため息橋」はヴェネツィアでも有名な観光地ですが、これは19世紀にイギリスの詩人バイロンがこう名付けただけで、実際は「一度入ったら出られなかった囚人」はほぼいなかったらしく、牢獄も短期刑の囚人の利用が多かったとか。まぁ、しばらくシャバには出られないので、橋でため息は付いたかもしれませんが…。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。