登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (1),(5),(6) |
登録年 | 1979年 |
シダテルは「カイロ歴史地区」の構成資産の一つ。カイロのイスラム地区の丘の上に築かれた要塞であり、現在はムハンマド・アリー朝時代のモスクや宮殿などが点在しています。ところで、シダテルはなぜ世界遺産なのでしょうか?
ここではシダテルがなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、シダテルについて詳しくなること間違いなし!
シダテルとは?
カイロの南東部にあるムカッタムの丘の上に築かれた城塞。ここは12世紀にアイユーブ朝の始祖(サラーフッディーン、1137年または1138年〜1193年)によって築かれ、その後、19世紀まで700年近く宮殿が置かれていました。
19世紀前半にムハンマド・アリー朝(1805〜1953年)のムハンマド・アリー(1769〜1849年)によって、シタデルの古い建物が壊され、新しい建造物が並び、現在見られるものはこの時代のもの。敷地内には4つのモスクが点在し、かつての宮殿は博物館として公開されています。
ムハンマド・アリー・モスク
1830年から1848年にかけて、エジプトのムハンマド・アリー朝の始祖であるムハンマド・アリーによって建造されたモスク。ここは1816年に亡くなった彼の息子であるトゥルン・パシャを偲ぶために建造されたもの。その後、ムハンマド・アリーの死後、彼もここに埋葬されました。
イスランブールの建築家によって築かれたため、オスマン帝国時代の建築様式が見られます。内壁にはアラバスターを使用しているために「アラバスター・モスク」と呼ばれることも。2基のミナレットは高さ84mで、エジプトでも最も高いミナレットを持つことでも有名。
シダテルはどんな理由で世界遺産に登録されているの?
シダテルが評価されたのが、以下の点。
登録基準(i)
カイロのイスラム地区とオールド・カイロに残る建造物は、人類の創造的才能が見られるということ。
登録基準(v)
歴史地区は、カイロの近代的な都市部と一体となっていて、今でも人々が住む旧市街にモスク、マドラサ(神学校)、ハマムなど、かつての繁栄が見られる建築物が溶け込んでいるという点。
登録基準(vi)
世界でも最も古いイスラム都市の一つで、14世紀には「1000のミナレットが立つ街」と称されるほどに黄金時代を迎えた都市であったということ。
世界遺産マニアの結論と感想
シタデルは、イスラム時代において重要な城塞であり、のちにムハンマド・アリー朝時代の宮殿などが並ぶエリアになり、カイロの繁栄が見られるという点で評価されています。
ちなみに、ムハンマド・アリー朝はオスマン帝国の一部であったエジプトにおいて「総督(ワーリー)」の地位をムハンマド・アリーが獲得していたため、実質上は国王の地位にはあったのですが、子孫が正式に国王になったのが1922年から。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。