イタリアの世界遺産「フォロ・ロマーノ(フォルム・ロマヌム)」とは?世界遺産マニアが解説

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登録区分文化遺産
登録基準(1), (2), (3), (4), (6)
登録年1980年(1990年拡大)

フォロ・ロマーノ(フォルム・ロマヌム)は「ローマ歴史地区、教皇領とサン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂」の構成資産の一つ。かつて古代ローマ市の中心部であり、今でも神殿跡や凱旋門などが残り、当時の繁栄を偲ばせます。ところで、フォロ・ロマーノはなぜ世界遺産なのでしょうか?

ここではフォロ・ロマーノがなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、フォロ・ロマーノについて詳しくなること間違いなし!

目次

フォロ・ロマーノ(フォルム・ロマヌム)とは?

フォロ・ロマーノ(フォルム・ロマヌム)
画像素材:shutterstock

現在のローマ市内にある遺跡の集合体で、フォロ・ロマーナは「ローマ市民の広場」という意味。広場は東西約300m、南北約100mの広さを誇り、紀元前6世紀から3世紀までローマ帝国の政治と経済の中心地でもあり、政治の演説が行われたり、集会、凱旋のパレードなどが行われた場でした。ここは民会(コミティア)が開く場所として利用され、ウィア・サクラ(聖なる道)沿いに建築物が多く並んでいたことで知られます。

もともとは紀元前6世紀ころまで沼沢地であった場所に、それぞれの丘のにあった村落同士の会合する場として変化していき、共和政ローマ(紀元前509〜紀元前27年)になると、東西南北に門が築かれ、これがローマ初期の輪郭になったとされています。

フォロ・ロマーノ(フォルム・ロマヌム)
画像素材:shutterstock

ここにはコミティウム(民会集会所)があり、北側にはクリア・ユリア(元老院議事堂)が存在していました。広場には神殿が多く建造されたものの、初期から残っているのは「レギア(最高神祇官の公邸)」のみ。

現在の姿になったのは、ユリウス・カエサル(紀元前100年〜紀元前44年)によって再設計が行われてから。その時代になるとフォロ・ロマーノは手狭になったため、カエサルは北部に新たにフォロ・ジュリアーノを設計。西ローマ帝国が滅ぶと、ここは放牧地となり、住民からも忘れ去られました。ルネサンス期になると、古代の装飾などは建築素材に当てられてしまいます。現在は神殿や凱旋門などが残っているものの、ほとんどが遺構となってしまいました。

フォロ・ロマーノ(フォルム・ロマヌム)はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

フォロ・ロマーノ(フォルム・ロマヌム)
画像素材:shutterstock

フォロ・ロマーノが評価されたのが、以下の点。

登録基準(i)
ローマは、古代から現在まで3000年にも及ぶ歴史を持つ芸術的な建築物であるということ。

登録基準(ii)
古代ローマからルネサンス、バロック、新古典主義まで、ローマ発祥の芸術は世界中の都市計画や建築物、芸術の発展に大きな影響を与えてきたということ。

登録基準(iii)
ローマの遺跡は保存状態がよく、現在も当時の芸術と建築技術の高さがよく見られるという点。

登録基準(iv)
ローマは中心部の都市開発は、3000年近くも途切れることなく続いており、古い町並みと現代建築が調和できるようになっているということ。

登録基準(vi)
キリスト教が伝来してから2000年以上の間、ローマはキリスト教世界の中心都市であり、ヨーロッパの文化の基盤であるということ。

世界遺産マニアの結論と感想

フォロ・ロマーノは、かつての古代ローマ世界の中心だけあって、当時の優れた都市計画や建築物が見られ、各地に影響を与えていたという点で評価されています。

ちなみに、近くにあるコロッセオ(フラウィウス円形闘技場)が完成するまでは、剣闘士による戦いはこの広場で行われていて、結構血なまぐさいイベントも行われていた様子。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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