登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (3), (4) |
登録年 | 2024年 |
永定門は「北京の中心軸:中国の首都の理想的秩序を示す建築物群」の構成資産の一つ。かつての旧市街において最も南に位置した門で、北京の玄関口的存在でもありました。ところで、永定門はなぜ世界遺産なのでしょうか?
ここでは永定門がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、永定門について詳しくなること間違なし!
永定門とは?
旧市街の玄関口といった存在で、明(1368〜1644年)と清(1636〜1912年)の時代に存在した、外城の城壁における正門であった場所。明時代の1553年に建設が始まり、市街の城壁が南に拡大すると、最南端に配置されました。永定門の由来は「永遠に安定する」という意味。ここは外城の中でも最も大きな門で、清の時代になって増築が継続されるも、近代になると鉄道や道路の建設のために、門の左右にあった上壁は取り壊されています。
現在の美しい姿は清の時代になってから1767年に再建されたものがベースとなっていて、その際に基壇の高さは26mとなりました。城門楼は北京の中心軸として再計画が行われた際に2005年に復元されたもの。
永定門はどんな理由で世界遺産に登録される予定なの?
永定門が評価されたのが、以下の点。
登録基準(iii)
北京の中心軸とその周辺地域は、宮殿や官庁、寺院、祭壇、邸宅、城門など、壮麗な建築物が並び、中国の祭祀、文化、習慣、風水などの多様性が見られ、社会だけでなく、文化としての価値が今でも生き続けているということ。
登録基準(iv)
中国の都市計画は、「天地の観察」、「儀式」、「自然景観を合わせた設計」という3つの概念があります。北京は北極星の真下に築かれ、まさに「天地の観察」を反映し、宮殿や市場、西側に祖先の祠、東側に祭壇などの都市計画は伝統的な「儀式」の影響が示していて、中心軸には自然環境との調和が見られ、合理性が反映されたもの。これらは伝統的な中国の哲学が見られ、1000年に渡る中国の首都計画の発展がよく保存された例であり、明と清の時代の首都の設計と建築物の頂点であり、東洋における都市計画の傑出した例であるという点。
世界遺産マニアの結論と感想
永定門は、当時の姿はほとんどなく、城門楼などは復元されたものですが、ここは北京の中心軸の南端に位置していて、中国古来の都市計画や文化の伝統を残しているという点で評価されています。
ちなみに、現在の永定門は復元ではあるものの、素材に使用されたレンガは解体された時に、別の場所にある倉庫の囲いに再利用されていたのですが、再建が決まると再度この場所に戻したというほどにこだわったもの。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。