ポルトガルの世界遺産「エヴォラ歴史地区」とは?世界遺産マニアが解説

  • URLをコピーしました!
登録区分文化遺産
登録基準(2),(4)
登録年1986年

ポルトガルの南東部に位置するエヴォラは、古代ローマからの歴史を誇り、15世紀には国王も滞在することも多く、16〜18世紀に文化都市として発展。その時代に建造された都市構造は、ブラジルの植民都市の建築に大きく影響を与えました。

ここではエヴォラ歴史地区がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、エヴォラについて詳しくなること間違いなし!

目次

エヴォラ歴史地区とは?

エヴォラ大学
画像素材:shutterstock

リスボンから東へ約130kmの位置にある、アレンテージョ地方の中心都市。ここは共和制ローマ時代に建造され、2000年以上に渡って発展してきました。その後、ムーア人(イスラム教徒)によって要塞跡やレコンキスタ時代に建造された教会・修道院など、中世当時の建築物が残っています。15世紀になるとポルトガル王がここを滞在することが多くなり、宮殿や修道院などが建造。

16世紀に大司教座になると、カトリック教会の男子修道会・イエズス会によってエヴォラ大学が建造されました。しかし、18世紀に当時の宰相であったポンバル伯爵によって大学が閉鎖されると町は徐々に衰退。

16〜18世紀には文化の中心地として繁栄し、都市は中世の区画にタイルと錬鉄製のバルコニーを持つ建築物が並び、同心円状に漆喰作りの家々が広がっていきました。この時代に建造された都市構造は、新大陸のブラジルの植民都市の建築にも大きく影響を与えています。

登録されている主な構成遺産

ディアナ神殿

ディアナ神殿
画像素材:shutterstock

旧市街の中心部にあるローマ時代の神殿。ここは1世紀に初代ローマ皇帝のアウグストゥスを祀るために建造された、かつてのコリント様式の神殿跡。ローマ神話に登場する女神ディアナが祀られたという俗説から「ディアナ神殿」と呼ばれるようになりました。

エヴォラ大聖堂

エヴォラ大聖堂
画像素材:shutterstock

1280〜1340年にかけて建造された大聖堂で、中世ポルトガルのゴシック様式の傑作でもあります。ここは14世紀になるとゴシック様式の回廊、16世紀にはポルトガル独自のマヌエル様式の礼拝堂、18世紀にはバロック様式の主礼拝堂が加えられ、さまざまな時代の建造物が見られます。

聖堂内には、16世紀に建造されたポルトガル最古のオルガンがあり、ヨーロッパに2台しかない現存していない、パイプが横に水平に並ぶという珍しい構造のイベリアパイプオルガンが残っています。

エヴォラ大学

1559年に建造されたイエズス会に創設された神学校が起源となっていて、ポルトガルの国内でも2番目に古い大学。16世紀のルネサンス後期の美術様式であるマニエリスム様式の教会があり、回廊は17〜18世紀に建造された壮麗なアズレージョ(上薬をかけて焼くタイル)が並ぶもの。大学は1759年に閉鎖されるも1973年に再開されました。

エヴォラ歴史地区はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

エヴォラ歴史地区
画像素材:shutterstock

エヴォラが評価されたのが、以下の点。

登録基準(ii)
エヴォラ歴史地区の都市構造は、ブラジルのかつての首都であったサルヴァドール・デ・バイアのように、新大陸のポルトガルの植民都市の影響を与えたということ。

登録基準(iv)
エヴォラ歴史地区は、1755年の大地震によるリスボンの崩壊後も残る、ポルトガル黄金時代の都市構造が見られるという点。

世界遺産マニアの結論と感想

リスボンは地震の後に再建された都市ではありますが、エヴォラはその影響を受けなかったため、ポルトガル海上帝国が繁栄した時期の町並みが残るというのが特徴で、これはかつての植民地であるブラジルの都市設計にも影響を与えたという点で評価されています。

ちなみに、16世紀後半に天正遣欧少年使節がここを訪れ、リーダー的存在である伊藤マンショと千々石ミゲルは大聖堂でイベリアパイプオルガンを演奏したということでも有名。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

この記事が気に入ったら
いいね または フォローしてね!

  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

目次