フランスの世界遺産「パリのセーヌ河岸」とは?歴史と場所を含めて世界遺産マニアが解説

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登録区分文化遺産
登録基準(1), (2), (4)
登録年1991年

フランスの首都であるパリは、セーヌ川のシテ島がケルト系のパリシィ人が住み着いたことが起源。ノートル・ダム大聖堂やルーブル美術館、エッフェル塔など、セーヌ川沿いに並ぶ建築物からパリの街の発展が見られます。19世紀後半にセーヌ県知事オスマンがパリを大改造し、近代的都市へと変え、その美しい町並みは世界中の都市設計に影響を与えました。

ここでは、パリのセーヌ河岸がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、パリのセーヌ河岸について詳しくなること間違いなし!

目次

パリのセーヌ河岸とは?その歴史と場所について解説

パリのセーヌ河岸
画像素材:shutterstock

首都パリはフランス北部にある大都市で、フランスにおいては政治、経済、文化の中心地として知られます。中心部を流れるセーヌ川は全長約780kmで、フランス北部から大西洋へと流れる大河。セーヌ川沿いに点在する建築物は、この街の発展と2000年を超える歴史を見ることができます。登録されているエリアは、東はサン・ルイ島から西はシャイヨー宮までの広大な地域。

その歴史は紀元前3世紀にケルト系のパリシィ人が現在のノートルダム大聖堂があるシテ島に住み着いたことから。紀元前1世紀にガリア戦争後、ローマ帝国の支配を受けると、商業都市として栄えるようになります。6世紀にフランク王国(5世紀後半〜9世紀頃)の首都となったものの、本格的に首都として機能するようになるのは、10世紀にフランス王国(987〜1792年、1814〜1832年)になってから。

パリのセーヌ河岸
画像素材:shutterstock

13世紀になるとノートルダム大聖堂やサント・シャペルなどゴシック様式が完成し、16世紀には現在のルーブル美術館の原型であるルーブル宮が完成すると、右岸は政治や経済の中心となると、左岸はカルティエ・ラタンなど、学問と文化の中心地になります。

現在のパリの構造は、19世紀後半にセーヌ県知事ジョルジュ・オスマンによって行われた「パリ改造」によるもの。パリの景観は中世の街並みから近代のものとなり、エッフェル塔が築かれたのもこの頃。その美しい町並みは世界中の都市設計に影響を与えました。

登録されている主な構成遺産

ノートルダム大聖堂

ノートルダム大聖堂/パリのセーヌ河岸
画像素材:shutterstock
※写真は2019年以前のものです

12世紀にシテ島に建造され、13世紀に完成。一部ロマネスク様式が見られますが、ゴシック建築の傑作と言われ、ヨーロッパに建造されたゴシック様式の大聖堂のモデルとなりました。身廊の高さは32.5mと当時としては壮大なスケールで、ゴシック建築の特徴でもあるバラ窓のステンドグラスはあまりにも有名。

2019年に火災が発生し、木造であった屋根や尖塔などが焼失。現在は修復作業が進められています。

サント・シャペル

サント・シャペル/パリのセーヌ河岸
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もともとは19世紀にシテ島に築かれたフランス王国の王宮にあった礼拝堂を取り壊して、13世紀にフランス王ルイ9世が建造したもの。内部は美しいステンドグラスで埋め尽くされていることで知られています。

ルーヴル宮殿(ルーブル美術館)

ルーブル美術館/パリのセーヌ河岸
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セーヌ川右岸に建造されたフランス王の宮殿。13世紀に城塞として造られたものの、14世紀には王宮になりました。16世紀にフランソワ1世がルネサンス様式の宮殿に改装し、19世紀まで修復・増築されてきました。1793年に美術館として開館し、現在はフランス最大の美術館でもあります。

チュイルリー庭園

チュイルリー庭園
画像素材:AdobeStock

パリの1区にあり、現在はルーブル美術館とコンコルド広場の間に位置する広大な庭園で、現在は庭園として公開されています。16世紀にフランソワ1世(1494〜1547年)が母のためにここを購入し、瓦(かわら)の工房があったことから、チュイルリーと名付けられました。

コンコルド広場

コンコルド広場/パリのセーヌ河岸
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1755年に設計され、当時はルイ15世広場とされましたが、フランス革命によって「革命広場」となると、皮肉にもルイ16世やマリー・アントワネットのギロチン刑が行われた場所に。1836年にはエジプトのルクソール神殿からオベリスクが届けられ、現在は広場のシンボルとなっています。

オルセー美術館

オルセー美術館/パリのセーヌ河岸
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もともとはセーヌ川左岸に1900年に建造されたオルセー駅の鉄道駅兼ホテル。1986年に美術館として使用されるようになり、現在は印象派の作品が多く展示されています。

グラン・パレ

グラン・パレ/パリのセーヌ河岸
画像素材:shutterstock

セーヌ川右岸にある、1900年のパリ万国博覧会のために建造された展覧会場兼美術館。外観はアール・デコの装飾がされていて、内部は大きなスペースに美術館や博物館などが置かれています。

アンヴァリッド

アンヴァリッド/パリのセーヌ河岸
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正式名称は「オテル・デ・ザンヴァリッド」。1671年に戦争で傷ついた兵士を看護する施設として建造されたものですが、教会に地下墓所が造られ、ここにナポレオン1世の棺が置かれたことから、今では観光地にもなっています。

エッフェル塔

エッフェル塔/パリのセーヌ河岸
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ギュスターヴ・エッフェルによって設計された塔で、当時は312.3mもの高さを誇り、1889年に完成した当時は世界一の高さでした。現在はアンテナが設置されているので、高さは330mとなっています。炭素の含有量が少ない鉄である「錬鉄」が使用され、展望台は3つも造られました。

しかし、完成当時はパリ市民には大不評。現在は評価は全く異なり、パリのシンボルともなっています。

シャイヨー宮

シャイヨー宮/パリのセーヌ河岸
画像素材:shutterstock

1583年にフランス王アンリ2世の王妃・カトリーヌ・ド・メディシスが建造した城が基になっています。敷地内には教会や修道院なども建てられましたが、フランス革命時に破壊。1811年にナポレオンによって宮殿が建造され、現在見られる展示会場は1937年に完成。敷地内からはエッフェル塔が綺麗に見られることで有名です。

パリのセーヌ河岸はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

パリのセーヌ河岸
画像素材:shutterstock

パリのセーヌ河岸が評価されたのが、以下の点。

登録基準(i)
セーヌ川沿いには、中世から20世紀にかけて建造された建築物の傑作が並ぶという点。

登録基準(ii)
ノートルダム大聖堂など優れたゴシック建築は、ヨーロッパの都市開発に影響を与え、ジョルジュ・オスマンによる都市計画は、ラテンアメリカの都市設計にも影響を与えたということ。

登録基準(iv)
パリのセーヌ川の風景や建築物は、絵画や芸術、建築などで8世紀以上に渡ってモチーフとなったという点。

世界遺産マニアの結論と感想

この遺産は川沿いに沿って立つ建築物が世界遺産という珍しいもの。例えば、ゴシック建築の大聖堂は、他のヨーロッパのキリスト教建築の参考になり、近代的なパリの都市計画はラテンアメリカの都市設計に影響を与えています。そして、なんといってもセーヌ川と美しい建築物は絵画のテーマに選ばれるだけではなく、東京タワーがエッフェル塔をモデルにしたように、世界各地のタワー建築にも影響を与えているというのがポイント。

しかし、ここで気がつくと思うのですが…実はパリで最も有名な通りであるシャンゼリゼ通りとエトワール凱旋門は世界遺産に登録されていないのです。でも、これはあくまでも「セーヌ川」を中心とした世界遺産なので、セーヌ川から離れている凱旋門は含まれないのは当然ではあります。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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