登録区分 | 文化遺産 |
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登録基準 | (1),(2),(3),(4) |
登録年 | 1992年 |
バンテアイ・クデイは「アンコール遺跡」の構成資産の一つ。アンコール遺跡でも最初期の仏教遺跡であり、崩壊しつつあるものの、建物の構造は今も残っています。ところで、バンテアイ・クデイはなぜ世界遺産なのでしょうか?
ここではバンテアイ・クデイがなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、バンテアイ・クデイについて詳しくなること間違なし!
バンテアイ・クデイとは?
アンコール・トムの東に位置する小さな寺院遺跡で、「バンテアイ(要塞)」「クデイ(僧院)」という意味。もともとは12世紀にアンコール・ワット寺院を築いたスーリヤヴァルマン2世(在位:1113年〜1150もしくは1152年)によって築かれたヒンドゥー教の寺院がベースとなっていて、13世紀に戦争で荒廃したためにジャヤーヴァルマン7世(在位:1181年〜1218年?/1220年?)によって仏教寺院として改築されました。
ここはアンコール・トムにあるバイヨン寺院の建築様式とよく似ていて、二重の周壁で囲まれ、外周壁の4つの塔門は四麺の観音菩薩があります。濠で囲まれた周壁の中には、祠堂があり、中庭には前柱殿(踊り子殿)と呼ばれ、アプサラス(踊り子)やデヴァター(女神)の像が多く彫られている建造物があります。寺院は13世紀に大部分が破壊されるも、建造物の破風やまぐさは残され、近くにあるタ・プロームと同様に巨大な樹木による浸食を受けつつ残存しました。
バンテアイ・クデイはどんな理由で世界遺産に登録されているの?
バンテアイ・クデイが評価されたのが、以下の点。
登録基準(i)
アンコール遺跡は、アンコールワット、バイヨン寺院、パンテアイ・スレイなど、9〜15世紀までのクメール美術の傑作が見られるということ。
登録基準(ii)
アンコールで発展したクメール美術は、東南アジア全域で影響を与え、各地で独自に発展していったという点。
登録基準(iii)
密林に残る遺跡は9〜15世紀に東南アジアの大部分を支配したクメール王朝の存在を示しているということ。
登録基準(iv)
クメール様式の建築は、各地で独特の進化を遂げ、結果的に東南アジアの建築と美術の新しい様式を生み出していったということ。
世界遺産マニアの結論と感想
バンテアイ・クデイは、アンコールでも最初期の仏教寺院であり、樹木によって崩壊している部分もあるものの、各地に広がっていったクメール美術や建築様式などが見られるという点で評価されています。
ちなみに、バンテアイ・クデイは日本の上智大学を中心とした調査団によって何度も調査が実施されていて、2001年には合計で274体もの仏像の断片が、北側の小祠堂で発見!今でも謎の多いクメール王朝の全貌解明に向かって貢献しています。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。