世界遺産の歴史とは?世界遺産マニアが解説

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世界遺産はいつ誕生したのでしょうか?1978年にアメリカのイエローストーン国立公園や西ドイツのアーヘン大聖堂の12件の遺産が世界遺産第1号となったのですが、その誕生の経緯は意外と知らないところ。

今回は世界遺産誕生の前史から踏まえて、世界遺産の歴史について分かりやすく解説していきましょう。これを読めば、世界遺産の歴史について具体的に理解できること間違いなし!

目次

世界遺産はなぜ誕生したのか?

パルテノン神殿
画像素材:AdobeStock

世界遺産のルーツとなる思想についてはかなり古く、国際的に文化遺産を保護するという概念は1907年の「ハーグ条約(ハーグ陸戦条約)」によるものが始まりとされます。1931年には「アテネ憲章」と呼ばれる、歴史的な建造物の保存・修復に関する原則が採択されたものの、まだこの頃は近代技術を活用して修復するのは問題なしとされていました。

本格的に動き始めるのは、第二次世界大戦が終わり、1945年に国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)が設立してから。ユネスコ憲章には既に遺産の保護やそれに関する国際条約を勧告していて、1959年にはローマで「文化財保存修復研究国際センター(ICCROM)」が誕生。

ヴェネツィア
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1964年になると今度はアテネ憲章の内容から修復には建設当初の素材や技法を尊重するという「ヴェネツィア憲章」が採択。これにより、1965年にはユネスコの諮問機関である国際記念物遺跡会議(ICOMOS)が設立されました。

、しかし、なんといっンベル神殿を含めたヌビア遺跡のほとんどが水没してしまうという恐れがあったために1960年代からキャンペーンが展開されました。

世界遺産第1号はどこ?

イエローストーン国立公園
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ヌビア遺産の保存国際キャンペーンにより、1970年のユネスコ総会では、現在の世界遺産条約の土台となる案が作られ、1972年の総会では、「世界の文化遺産および自然遺産の保護に関する条約(世界遺産条約)」が採択されました。アメリカが最初に批准すると、締約国は20カ国にも達し、発効の要件が満たされ、1975年には正式に発効。

これにより、世界遺産委員会の開催や世界遺産基金の設立など、世界遺産の創設のための土壌が整えられていき、いよいよ1978年の第2回世界遺産委員会ではアメリカのイエローストーン国立公園や西ドイツのアーヘン大聖堂の12件の遺産が世界遺産リストに登録され、これらが初めて「世界遺産」となったのです。

キトの市街
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■1972年に登録された世界遺産第1号
アーヘン大聖堂/ドイツ
クラクフ歴史地区/ポーランド
ヴィエリチカとボフニアの王立岩塩坑群/ポーランド
ラリベラの岩窟教会群/エチオピア
シミエン国立公園/エチオピア
ゴレ島/セネガル
メサ・ヴェルデ国立公園/アメリカ
イエローストーン国立公園/アメリカ
ランス・オ・メドー国定史跡/カナダ
ナハニ国立公園/カナダ
キトの市街/エクアドル
ガラパゴス諸島/エクアドル

世界遺産は1000件以上にも拡大!一方、抹消される事例も…

法隆寺
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1978年以降、ほぼ毎年世界遺産委員会が開かれ、世界遺産は毎年登録されていきました。しかし、欧米諸国からスタートしたこともあり、世界遺産の割合はヨーロッパが占め、その他の地域ではあまり増えていかないという状態が続きました。

特に日本は世界遺産条約の批准が1992年と非常に遅く、先進国では最後になってしまいました。そして、1993年に日本初の世界遺産である「姫路城」と「法隆寺地域の仏教建築物」がようやく登録。

ドレスデン・エルベ渓谷
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しかし、2007年の第31回世界遺産委員会では、オマーンのアラビアオリックスの保護区が保護区の設定区域の90%削減を当局が決定したことから、初めて世界遺産リストから抹消されることとなりました。さらに、2009年の第33回世界遺産委員会では「ドレスデン・エルベ渓谷」、さらに2021年の第44回世界遺産委員会で「海商都市リヴァプール」が抹消。

その一方、現在の世界遺産条約の締約国は200カ国以上にも達していて、世界遺産の登録数は2014年には1000件を超え、その件数は増え続けています。これもあり、世界遺産は「世界で最も成功した国際条約」と呼ばれるほどに。

世界遺産はまだまだ進化し続けている

富士山
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そうはいえど、まだまだ課題は多く、欧米の遺産が多く、登録国の偏りが多いというのが現状。少しずつ締約国は増えているのですが、発展途上国では紛争などの問題を抱えていて、国際的な支援がないとなかなか保護体制も築けないというのも悩みの種でもあります。

そして、文化遺産があまりにも多く、歴史的な建造物に偏っているというのも実情。これについては、1992年に「文化的景観」が取り入れられ、今まで登録されてこなかった、人と自然がともに築き上げた景観、例えば、農場や風景なども単独で登録できるようになりました。さらに、近代の遺産である「産業遺産」「20世紀遺産」など、遺跡や歴史的建造物以外も積極的に登録しようとしています。

シュヴェリーン城
画像素材:shutterstock

しかし、紛争や都市開発によって危機遺産が増えているのも問題で、さらには観光地化によるオーバーツーリズムも遺産そのものの価値を下げてしまうという傾向にあります。まだまだ課題は多いものの、あくまでも遺産の保護を重要視するのが世界遺産であるので、これからも新しいジャンルなどを作り出して、その課題を解決できる遺産が登場していくことでしょう。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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