登録区分(暫定リストに記載) | 文化遺産 |
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登録基準(暫定リストに記載) | (2),(3),(4),(5),(6) |
申請年(暫定リストに記載) | 2007年 |
畝傍山(うねびやま)は「飛鳥・藤原の宮都とその関連資産群」の構成遺産の一つ。ここは神武天皇がこの地で皇居を築いた場所しても知られており、日本神話の舞台でもあります。ところで、畝傍山はなぜ世界遺産候補なのでしょうか?
ここでは畝傍山がなぜ世界遺産候補なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、畝傍山について詳しくなること間違なし!
畝傍山(うねびやま)とは?

奈良県橿原市に位置する山で、「大和三山」(天香久山、畝傍山、耳成山)の一つとして知られています。標高は199.2mとそれほど高くはありません。畝傍とは「火がうねる」という意味であり、釣鐘型の火山のように見えることから「火」を連想したとも考えられていますが、ここは火山岩が侵食されてこのような形になったとされるもの。
『日本書紀』では、初代天皇・神武天皇が山の南東に「橿原宮」を置いたことから古くから神聖な地とされていました。その後、宮跡は不明となってしまったものの、明治になるとかつて橿原宮があった場所は、現在の橿原神社であると推定。その後、1890年には本殿と拝殿が造られ、主祭神が神武天皇であることから、今では多くの人々が訪れる神社でもあります。
神武天皇畝傍山東北陵(四条ミサンザイ古墳)



神武天皇の陵は、『日本書紀』や『古事記』によると、畝傍山の北方、白檮尾(かしのお)にあると記されていたものの、中世以降はその位置が不明となってしまい、江戸時代後期になって、小さな塚があった場所が現在の神武天皇陵と治定されました。ここは畝傍山より東北へ300m離れていて、もともとは寺院の敷地にあったとされるもの。
よって、陵と認められてからの歴史は少ないものの、明治以降は東西500m、南北約400mの広大な領域を占めていて、皇室によって皇霊殿と認められています。毎年4月3日は神武天皇の崩御日とされていて、今でも神武天皇祭が行われ、それに合わせて全国の神社のほとんどで遥拝式や祭典が行われます。
畝傍山(うねびやま)はどんな理由で世界遺産に登録される予定なの?



日本政府が提出したの暫定リストに記載されている登録基準としては、以下の点。
※これらは2007年に暫定リストに記載された、日本における基準です。
登録基準(ii)
文化の交流を示すもの
登録基準(iii)
現存or消滅した文明の証拠
登録基準(iv)
人類の歴史を象徴する建築物の代表的な段階や景観の見本
登録基準(v)
伝統的集落や人類と環境の交流の見本
登録基準(vi)
人類史上に残る出来事や現存する伝統、思想、信仰、芸術
世界遺産マニアの結論と感想
畝傍山は比較的低い山ではありますが、周囲には神武天皇陵や橿原神宮など、日本の歴史や文化においてはルーツといっても過言ではなく、非常に重要な場所であり、今でも人々に崇拝されています。
ちなみに、一時期、神武天皇陵の位置がわからなくなっただけに畝傍山には江戸時代まで寺院が点在したり、大正時代までは山腹に村が置かれたりと、かなり複雑な歴史を経て現在に至っています。とはいえ、どんな時代でも「神聖な場所」という雰囲気は引き継がれたのでしょうね。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。