奈良県の世界遺産候補「檜隈寺跡」とは?世界遺産マニアが解説

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登録区分(暫定リストに記載)文化遺産
登録基準(暫定リストに記載)(2),(3),(4),(5),(6)
申請年(暫定リストに記載)2007年

檜隈寺跡(ひのくまでらあと)は「飛鳥・藤原の宮都とその関連資産群」の構成遺産の一つ。ここは渡来系の東漢氏(やまとのあやうじ)が暮らしていた地であり、彼らの氏寺として規模は飛鳥寺などにも匹敵するものだったとされています。ところで、檜隈寺跡はなぜ世界遺産候補なのでしょうか?

ここでは檜隈寺跡がなぜ世界遺産候補なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、檜隈寺跡について詳しくなること間違なし!

目次

檜隈寺跡とは?

檜隈寺跡

明日香村に位置する飛鳥時代の寺院遺跡。ここは高松塚古墳の南に位置していて、かつては渡来系の東漢氏(やまとのあやうじ)が暮らしていた「檜前(ひのくま)」と呼ばれる地であり、『日本書紀』では688年にその記載があることから、この時期には既に檜隈が存在していたことが分かります。しかし、それ以降の動向はあまり分かっておらず、中世には道興寺という寺院となっていたということが分かっていますが、江戸時代には瓦が散らばっていた廃寺であったという記録もあるほど。

敷地内には、1907年に移築された「於美阿志神社(おみあしじんじゃ)」があり、於美阿志神社は東漢氏の氏神であり、檜隈寺の鎮守社であったもの。1969年以降、何度も発掘調査が行われ、当時の伽藍の構造が分かりました。塔跡には礎石があり、講堂跡には基壇が残っていて、土台としての保存状態は良好というのが特徴。とはいえ、ここはほぼ遺構となっていて目立つ建物としては平安時代に築かれた「十一重石塔寺」のみ。こちらは重要文化財として登録されているほどに貴重なもの。

檜隈寺跡はどんな理由で世界遺産に登録される予定なの?

檜隈寺跡

日本政府が提出したの暫定リストに記載されている登録基準としては、以下の点。
※これらは2007年に暫定リストに記載された、日本における基準です。

登録基準(ii)
文化の交流を示すもの

登録基準(iii)
現存or消滅した文明の証拠

登録基準(iv)
人類の歴史を象徴する建築物の代表的な段階や景観の見本

登録基準(v)
伝統的集落や人類と環境の交流の見本

登録基準(vi)
人類史上に残る出来事や現存する伝統、思想、信仰、芸術

世界遺産マニアの結論と感想

檜隈寺は現在、遺構となっていますが、法隆寺や飛鳥寺に並ぶほどの伽藍があったとされ、発掘調査によって、寺院の構造が明らかになり、当時の文化や技術が分かるという点で貴重なもの。

ちなみに、東漢氏はどちらかというと技術者が多かったとされていますが、権力者を多く輩出した蘇我氏と縁が深く、屋敷の警備も担当するほどだったとか。それもあり、後に末裔の一派である「坂上氏(さかのうえうじ)」と名のり、日本初の征夷大将軍「坂上田村麻呂」も輩出していますが、蘇我氏とは途中で仲違いしたらしく、宗家は既に飛鳥時代には没落していた様子。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1200以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定マイスター認定済。

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