聖ヤコブは、イエス・キリストの十二使徒の一人であり、初期のキリスト教の布教においては非常に重要な人物でした。使徒の中でも中心的人物であったとされますが、彼の遺体が9世紀にスペインで発見されてからはスペインの守護聖人に。そんな聖ヤコブとはどういった人物だったのでしょうか?
今回は聖ヤコブ(ゼベダイの子)がどんな人物だったかを世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、聖ヤコブについて具体的に理解できること間違いなし!
※こちらではあくまでも世界遺産を知る上で「聖ヤコブ」を解説したものであり、聖書における「聖ヤコブ」について解説したものでありません。
聖ヤコブ(ゼベダイの子)とはどんな人物?聖ペトロ十字とは?
聖書の中での記述はそれほど多くない

彼については歴史的資料は少なく、ほとんどが新約聖書によるもの。以下では新約聖書や伝承などをもとに彼の足跡を辿ったもの。
十二使徒の一人ではあるものの、他にも「ヤコブ」という同名の使徒がいたために、彼は父の名前である「ゼベダイ」の子と呼ばれます。『マルコによる福音書』では、兄弟であったヨハネとともに漁師をしていましたが、イエスの弟子となり、二人は「雷の子ら」と呼ばれていました。イエスの近しい弟子の一人でもあり、ペトロやヨハネよりも出番はありませんが、重要な場面で登場する「聖典」もあります。そして、『使徒言行録』では、イエスの処刑後、エルサレムの教会において重要な役割であったものの、ヘロデ・アグリッパ1世(在位:37〜44年)によって捕らえられ、殉教したと伝えられています。
しかし、聖ヤコブはペテロやヨハネに比べて人気はなく、十二使徒の一人としては知られていたものの、知名度はそれほどありませんでした。
スペインの守護聖人



聖ヤコブは処刑になる前にスペインで布教したという伝承もあり、スペインでは昔から絶大の人気を誇ります。9世紀に北西部のサンティアゴ・デ・コンポステーラにて、聖ヤコブのものとされる墓が発見されたことから、その人気が高まっていきます。そして、当時の王であったアルフォンソ2世によって墓の周りに聖堂が建設され、巡礼者を迎え入れるための町も設立。
聖ヤコブはスペイン語で「サンティアゴ」と呼ばれ、これがサンティアゴ・デ・コンポステーラの旧市街の起源でもあります。そして、当時のイベリア半島はまさにレコンキスタ(国土回復運動)が盛んであり、ここは中世ヨーロッパのキリスト教三大巡礼地のひとつとなりました。
聖ヤコブ(ゼベダイの子)にまつわる世界遺産はこちら!
サンティアゴ・デ・コンポステーラ(旧市街)/スペイン



スペイン・ガリシア州にあるサンティアゴ・デ・コンポステーラは、中世ヨーロッパのキリスト教三大巡礼地のひとつ。旧市街には、ロマネスク様式、ゴシック様式、チュリゲラ様式(バロック様式を基にしたもの)、新古典主義の建物が並んでいます。
街の中心でもある大聖堂は9世紀に聖ヤコブの墓を中心に作られた聖堂がベースになっています。現在の大聖堂が建設されたのは12〜13世紀にかけてロマネスク様式で建造されたもの。
詳細はこちら↓



世界遺産マニアの結論と感想
聖ヤコブは、ペテロやヨハネほど知名度はないものの、イエスの十二使徒の中でも中心人物でもありました。彼はエルサレムで処刑されましたが、生前はスペインで布教したという伝承があり、真実はともかく、その遺体が奇跡的に発見されたためにスペインでは絶大な人気を誇ります。そして、サンティアゴ・デ・コンポステーラはヨーロッパでも有数の巡礼地であり、今でも多くの人々が訪れることで有名。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。