フェルナンド2世とはどんな人物?世界遺産マニアが解説

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フェルナンド2世(1451〜1504年)はスペインのアラゴン王国の女王であり、妻であるカスティーリャ王・イサベル1世と共に、レコンキスタを完了させ、スペインを統一した人物。フェルナンド2世とはどういった人物だったのでしょうか?

今回はフェルナンド2世がどんな人物だったかを世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、フェルナンド2世について具体的に理解できること間違いなし!

目次

フェルナンド2世とはどんな人物?

フェルナンド2世の肖像画
画像素材:shutterstock

1452年にアラゴン(イベリア半島東部)の国王フアン2世と2番目の妃であるカスティーリャ貴族の娘との間に生まれ、父からシチリア王位を継承。1469年に半島中部のカスティーリャ女王イサベル1世と結婚し、アラゴンとカスティーリャが同君連合となります。1492年にイベリア半島南部にあったナスル朝(グラナダ王国)を滅ぼし、これにより、イベリア半島はキリスト教徒の支配下となり、スペイン王国の誕生へとつながりました。

1504年にイサベル1世が亡くなるとフェルナンドはカスティーリャ王の地位を失ってしまいます。一方、ナポリ王位を獲得し、イタリアでのスペインの影響力を拡大しつつ、彼はカスティーリャ王国の摂政の地位に就き、1512年にはピレネー山脈西部にあるナバラ王国を併合し、イベリア半島にはスペインとポルトガルの2カ国だけとなりました。娘フアナ(狂女フアナ)をハプスブルク家のフィリップ美公と結婚させ、孫のカルロス1世(神聖ローマ皇帝カール5世)を後継者に指名。その後、1516年に亡くなりました。

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グラナダのアルハンブラ、ヘネラリーフェ、アルバイシン/スペイン

アルハンブラ宮殿
画像素材:shutterstock

グラナダはスペイン南部のアンダルシア州グラナダ県の県都で、かつてはナスル朝の首都であった場所。1492年にグラナダが陥落すると。その後、スペインの支配下に入ります。

実際にこの地にフェルナンドは訪れ、レコンキスタが終了したということは確認していますが、すぐにフランスとの戦争に突入したためにバルセロナへ移動。しかし、彼の墓はグラナダのカテドラルにあります。

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世界遺産マニアの結論と感想

フェルナンド2世は、スペインを統一しただけではなく、妻イサベル1世とともに新大陸の探検を支援し、彼女の死後はナポリ王位を引き継ぎ、ハプスブルク家との繋がりを経て、やがて世界帝国となるスペインの基盤を築いたという点で大いに貢献した人物でもあります。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1200以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定マイスター認定済。

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