ナポレオン法典(正式名称:フランス民法典) は、1804年にナポレオン・ボナパルト(1769〜1821年)の主導で制定された法律で、近代的な民法の基礎を築いたもの。これは現在のフランス法の基本となっているだけでなく、世界各国の法律にも大きな影響を与えました。
今回はナポレオン法典を世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めばナポレオン法典、について具体的に理解できること間違いなし!
ナポレオン法典はなぜ生まれたのか?

フランス革命(1789年)の前、フランスの法律は地域ごとに異なり、複雑で一貫性がありませんでした。やがてフランス革命 によって「自由・平等・友愛」の原則が広まると、全国統一の法律が求められるようになります。ナポレオンは1799年に統領政府の第一統領となると、国内の行政制度の整備を始め、革命の理念を整理し、一貫した法体系を作るために法典の編纂を命じました。
1800年に4名の起草委員が任命され、ナポレオンとともに法典をまとめ上げ、1804年に36章を含めた法典として成立。最初は「フランス人の民法典」という名称であり、1807年に「ナポレオン法典」と改題されるもナポレオンが1816年に失脚すると「フランス人の民法典」に戻され、さらに1852年に再び「ナポレオン法典」に改題。しかし、現在は「民法典」と呼ばれていて、ナポレオン法典とは呼ばれていません。
法典の内容はどんなもの?簡潔に解説



なんといっても近代私法の三大原則である「権利能力平等の原則」「私的所有権絶対の原則」「私的自治の原則」が含まれているのが最大の特徴。革命の理念「平等・自由」を法的に確立したもので、市民の権利と義務が強調され、革命以前は長男だけが財産を相続することが多かったものの、ナポレオン法典では公平に分割されるようになりました。
とはいえ、近代的な法体系であるものの、男女平等の点ではまだ不十分で、結婚は教会の儀式でなく、役所で登録するようになったのですが、ここでは家父長制を採用していて、女性の自由については不十分でもあありました。
ナポレオン法典の影響は?
ナポレオン法典はフランス国内だけでなく、世界中の法律に影響を与えました。ナポレオンの征服活動により、フランスの支配下に入った国々ではナポレオン法典が採用され、その影響でヨーロッパや世界各国の法律の基礎となったともされています。例えば、アメリカのルイジアナ州の法律はナポレオン法典の影響を強く受けているのが特徴。
とはいえ、フランスの民法典も今でも基本原則は変わらず適用されているものの、少しずつ改正されていて、女性の権利も大幅に改善されています。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。