イギリス・ドイツ・アメリカ・デンマークの世界遺産候補「モラヴィア教会の入植地」とは?世界遺産マニアが解説

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登録区分(暫定リストに記載)文化遺産
登録基準(暫定リストに記載)(3), (4)
申請年(暫定リストに記載)2022年

ドイツのヘルンフート、アメリカのベスレヘム歴史地区、イギリスのグレースヒル、デンマークのクリスチャンスフェルドは、ルター派教会の一派・モラヴィア教会(兄弟団)によって計画された街。ここは彼らの平等主義とヒューマニズムという哲学が重視された建造物が並び、プロテスタントの理想都市となりました。

ここではモラヴィア教会の入植地がなぜ世界遺産候補なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、モラヴィア教会の入植地について詳しくなること間違なし!

目次

モラヴィア教会の入植地とは?

クモラヴィア教会の入植地:クリスチャンスフェルド/デンマーク
画像素材:shutterstock

モラヴィア教会(兄弟団)とは、プロテスタントのルター派教会の一派であり、キリスト教に対し、新生、敬虔さ、伝道、善行を目指すという共同体運動の一つ。もともとはフス派と呼ばれる集団の一派で、15世紀前半にモラヴィア地方(チェコ東部)を中心に活動するも迫害が続き、18世紀に彼らはドイツへと移住し、そこからアメリカをベースに拡大していきました。アメリカやアフリカなどで伝統活動の結果、現在は世界中に75万人以上にも渡って信徒がいるとされます。

モラヴィア教会は、当時としては先駆的な平等主義的な哲学を持つ教団で、彼らの入植地にはそのヒューマニズムが都市計画において採用されていました。特にモラヴィア教会の社会構造が大いに反映されていて、未亡人や未婚の男女のための大きな共同住宅が並んでいるというのが特徴。

彼らの入植地は世界各地に広がっていて、世界遺産としてはドイツのヘルンフート、アメリカのベツレヘム歴史地区、イギリスのグレースヒル、さらには2015年に「モラヴィア教会の入植地クリスチャンスフェルド」として登録されたデンマークのクリスチャンスフェルドも含まれています。

登録されている主な構成遺産

ヘルンフート/ドイツ

ヘルンフート/ドイツ
画像素材:shutterstock

ドイツ東部ザクセン州のヘルンフートは、1722年にモラヴィアから教徒が移住し、初めて入植地が築かれた場所。教会の信徒たちはここから世界へと拡大していきました。ここは当時ツィンツェンドルフ伯爵の領地であり、初期の共同体は「ヘルンフート(主の祈り)」と呼ばれ、現在の町の名前もそれに由来しています。

中央の広場には細長い広場があり、ここを中心に構成されていて、赤いタイル張りの屋根を備えた家々が並んでいます。ここはすべてのモラヴィア教会の入植地のルーツ的存在であるため、各入植地の都市計画に大きな影響を与えました。

モラヴィアのベスレヘム歴史地区/アメリカ

モラヴィアのベスレヘム歴史地区/アメリカ
画像素材:shutterstock

アメリカ東海岸にあるペンシルヴァニア州。その中でも東側にあるベスレヘムは、1741年に現在のドイツに在住していたモラヴィア教会の信徒たちによって設立された共同体であり、ここは世界でも2番目に古い集落でもあります。後のアメリカにおけるモラヴィア人の入植地の中心となりました。

ここはヨーロッパと異なり、平地に開拓された都市で、18世紀に造られた建造物が多く残っていて、初期のものは石と丸太、レンガなどを使って築かれていました。歴史地区には、1744年に建造された独身女性が暮らす古い家などが残り、初期の信徒たちの暮らしが分かるというのも特徴。

グレースヒル/北アイルランド(イギリス)

グレースヒル/北アイルランド(イギリス)
画像素材:Kenneth Allen(Wikimedeia Commmons)

北アイルランドの北東部に位置する小さな村グレースヒル。ここは1759年にモラヴィア教徒によって築かれた入植地であり、モラヴィア教会の都市計画がみられるもの。中央の広場には教会が配置されるものの、建造物は英国のジョージ様式のものが多く、ヨーロッパ大陸側の入植地とはまた異なる景観が広がっています。

モラヴィア教会の入植地:クリスチャンスフェルド/デンマーク

クモラヴィア教会の入植地:クリスチャンスフェルド/デンマーク
画像素材:shutterstock

南ユトランドのコリング市にある人口3000人弱の小さな町クリスチャンスフェルド。ここは1773年に計画された入植地であり、教会広場を中心に、1〜2階建ての質素で均質な建造物が並ぶというのが特徴。

特にモラヴィア教会の社会構造が大いに反映されていて、未亡人や未婚の男女のための大きな共同住宅が並んでいるというのが特徴。これらの建造物は今でも地元のモラヴィア教会の信徒によって利用されています。

モラヴィア教会の入植地はどんな理由で世界遺産に登録される予定なの?

モラヴィアのベスレヘム歴史地区/アメリカ
画像素材:shutterstock

モラヴィア教会の入植地が評価されたのが、以下の点。

登録基準(iii)
モラヴィア教会の入植地は、街の配置、建築物、建築技術など、その哲学を示す証拠となっていて、今でも信徒たちによって、その伝統が維持されています。都市計画からは共同体の社会と哲学を反映されていて、モラヴィア教会の入植地として最もよく保存されているという点。

登録基準(iv)
国境を越えて点在するモラヴィア教会の入植地は、都市計画、統一性、機能などに示されているように、理想的なプロテスタントの入植地の例であり、他のモラヴィア教会の集落と同様に、啓蒙時代に導入された新たな概念を反映した都市でした。これは後のヨーロッパの多くの都市で実現された平等と共同体の社会の概念を先取りしたもの。モラヴィア教会の民主的な組織は、ヒューマニズムが施された都市計画に見られ、共通の福祉のための建築物も存在。建築物の素材や形状、デザインなどに高度な職人技が見られ、その統一性も示されているという点。

世界遺産マニアの結論と感想

モラヴィア教会の入植地は、プロテスタントの一派であるモラヴィア教会の哲学が反映された都市で、福祉施設などを含めた都市計画は、今では当たり前となった、平等とヒューマニズムの構造が見られ、先駆け的な存在として評価されています。

ちなみに、ベスレヘムはクリスマス・イブの日に入植したことから、現在のパレスチナの地にあり、イエス・キリストが生誕されたとされる街「ベツレヘム」と名付られました。そのために宗教都市と思われがちですが、1857年にベスレヘム・スチールが誕生すると産業も活発化し、2つの大学もあることから大学都市という面も持っています。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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