登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (2),(5) |
登録年 | 2019年 |
コーカサス山脈の麓に位置するシャキは歴史溢れる都市。ここには18世紀頃に建設された、破風造りの屋根を持つ伝統的な家々が並びます。町の北側にあるハーン宮殿は18世紀後半〜19世紀にかけて絹の取引によって築かれたもので、この町のかつての繁栄を象徴した建造物。
ここでは、シャキの歴史地区とハーンの宮殿がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、シャキの歴史地区とハーンの宮殿について詳しくなること間違いなし!
シャキの歴史地区とハーンの宮殿とは?
シャキは首都のバクーから北西へ約330kmの距離にある都市。コーカサス山脈東部の渓谷に位置するシャキの歴史は古く、紀元前6世紀にまで遡ります。18世紀には洪水により、町は徹底的に破壊されてしまいました。破風造りの屋根を持つ邸宅、美しい庭園、壮麗な宮殿など、現在も残る伝統的な町並みは18世紀後半〜19世紀にかけて作られたもの。
交易で栄えたシャキは、キリスト教が1世紀、イスラム教は7世紀に伝来し、さまざまな文化を受け入れてきました。その後、サファヴィー朝、オスマン帝国、ガージャール朝(イラン)など、大国によって支配。 1743年にはシャキ・ハーン国として独立し、19世紀にロシアの支配されるまで独立国家として存在しました。さまざな文化を受け入れてきたシャキは、町に残る建築物にもその影響を見ることができます。隊商宿(キャラバンサライ)は各地で集められたインテリアなどで飾られています。
古代からシャキの経済は養蚕と生糸の取引や工芸品の生産などで支えられていました。伝統家屋の高い屋根は蚕を飼育するために作られたものです。そして、精巧な配水システムは住宅から庭園まで街の至るところにネットワークするように施されていました。
そして、シャキで最も壮麗な建築物といえば、シェキ・ハーンの宮殿。18世紀にシェキを統治していた、シャキ・ハーンの夏の離宮として使用されていたもの。ヴェネツィアン・グラスを使用した窓が象徴的な建築物です。
シャキの歴史地区とハーンの宮殿はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
シャキの歴史地区とハーンの宮殿が評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
シャキはコーカサスの文化と商業の中心地であり、特にサファヴィー朝、オスマン朝、ガージャール朝、ロシアの影響を受けてきました。そして、シェキは周辺のコーカサス一帯の文化にも影響を与えたという点。
登録基準(v)
中心部は、水力システムによる計画された「田園都市」であったという点。
世界遺産マニアの結論と感想
とにかく、シャキほどさまざまな王朝に支配された都市はないでしょう。時代によってキリスト教が入ったり、イスラム教が入ったりと、さまざまな文化が入り交じることで、建築物が機能的で美しくなるという例でもありますね。そして、自然を取り入れつつも、配水システムも整備したりと、町としての機能も充実していたというのもポイント。
ただアゼルバイジャンを訪れる人も少ない上にバクーから遠く離れていることもあり、日本人にはまだまだ馴染みがないというのが悲しいですね。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。