登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (1), (2), (4) |
登録年 | 1996年 |
イタリア中部にあるピエンツァは、この地の出身でローマ教皇となったピウス2世の生家があったことから、15世紀にイタリア初のルネサンス様式で計画された都市。ピウス2世は建築家ベルナルド・ロッセリーノに理想の街作りを依頼し、現在も見られる格子状の区画は各地の建築様式に影響を与えました。
ここではピエンツァ市街の歴史地区がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ピエンツァについて詳しくなること間違いなし!
ピエンツァ市街の歴史地区とは?
トスカーナ州のシエナから南東へ約53km。周囲に田園が広がる丘の上に位置するピエンツァは中世から存在する街でしたが、この地の出身でローマ教皇となったピウス2世によって15世紀にルネサンス都市として再設計されました。彼は教皇庁の建築顧問であったベルナルド・ロッセリーノに都市設計を依頼し、理想の街を作り上げたのです。
街の中心であるピウス2世広場を中心に、格子状の道路を配置し、大聖堂や宮殿、市庁舎などが点在するという都市計画で、ここはピウス2世は、夏の宮廷として使用するのが目的でした。ピウス2世はここを「ピッコロミニ」と名付け、「理想の街」はルネサンスの先駆け的な存在に。この都市計画はイタリアだけでなくヨーロッパの都市開発において大いに影響を与えたもの。
ピエンツァ市街の歴史地区はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
ピエンツァが評価されたのが、以下の点。
登録基準(i)
ピエンツァの中央広場の周辺の建築物群は、ルネサンスの理想都市を実現したもので、人間の創造的才能が見られる傑作であるという点。
登録基準(ii)
ピエンツァの旧市街は、ルネサンスの都市計画を導入したもので、その後のイタリア内外の都市開発において重要な役割を果たしたということ。
登録基準(iv)
ピエンツァの中央広場周辺は、ルネサンス様式の優れた建築物であるという点。
世界遺産マニアの結論と感想
ピエンツァは教皇の理想都市として設計したもので、ルネサンス様式の美しい建造物が並ぶだけでなく、初めてルネサンスの都市計画が導入された都市としてヨーロッパの都市開発において重要であるという点で評価されています。
ベルナルド・ロッセリーノは、他にも世界遺産に登録されているアッシジのサン・フランチェスコ聖堂の改修工事を担当したり、ローマの建築物も改修していたりと、彼の仕事は割と世界遺産に関連していたりします。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。