登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (1),(2),(3),(4),(6) |
登録年 | 1999年 |
ペロポネソス半島の北東に位置するミケーネとティリンスの遺跡は、紀元前17世紀〜紀元前12世紀にかけてエーゲ海一帯を支配したミケーネ文明の遺跡。ここはトロイア戦争をテーマにした、ホメロスの叙事詩『イーリアス』や『オデュッセイア』に登場する将軍アガメムノンの居城があったとされています。
ここではミケーネとティリンスの古代遺跡群がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ミケーネとティリンスの古代遺跡群について詳しくなること間違いなし!
ミケーネとティリンスの古代遺跡群とは?獅子門とは何を意味する?
ギリシャ南部のペロポネソス半島北東部・アルゴリダ県に位置するミケーネとティリンスは、ミケーネ文明(紀元前17〜12世紀ころ)の遺跡。ここは古代ギリシャのルーツ的な存在で、ギリシャ最古の詩人ホメロスの叙事詩のテーマにもなった文明でもあります。
ミケーネ
アルゴリド平原に位置するミケーネの都市遺跡は、ギリシャの後期青銅器時代の重要な遺跡でもあります。ここはミケーネ文明の中心で、巨石を積み上げた城壁や獅子門と呼ばれる壮麗な門が残る場所。1876年にホメロスの詩を信じた、ドイツの考古学者ハインリヒ・シュリーマンによって円形の墳墓が発見され、「アガメムノンのマスク」と呼ばれる黄金の仮面を含めた黄金細工が多く発掘されました。
アガメムノンとは、ホメロスの叙事詩『イーリアス』や『オデュッセイア』に登場するトロイア戦争でギリシャ軍を率いた将軍のこと。シュリーマンは、マスクをかけていた遺体こそがアガメムノンと信じていましたが、この人物が埋葬されたのは紀元前16世紀と考えられていて、トロイア戦争の時代よりも早いというのが、現在の考古学的見解でもあります。しかし、これは王族と思われる身分の高い人物であることは確実。
ティリンス
ミケーネの南へ約20kmの位置する、ミケーネ文明の都市遺跡。ここは紀元前13世紀に丘の上に築かれた要塞で、周囲750mもの巨石を使用した城塞に囲まれています。頑丈な城壁はホメロス叙事詩にも登場するほどに有名だったもの。都市には宮殿や地下道などが存在していましたが、12世紀には衰退。
ここもハインリヒ・シュリーマンによって発掘された遺跡で、現在もドイツのハイデルベルク大学によって発掘が進められています。
ミケーネとティリンスの古代遺跡群はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
ミケーネとティリンスの古代遺跡群が評価されたのが、以下の点。
登録基準(i)
ミケーネとティリンスの建築様式とデザイン、例えば、獅子門やアガメムノンの黄金細工、ティレンスの城壁などは、人間の創造的資質を示す例であるという点。
登録基準(ii)
ミケーネ文明は、古代ギリシャの建築と都市設計の発展に大きな影響を与え、これは現代の文化にも影響を与えているということ。
登録基準(iii)
ミケーネとティリンスの遺跡は、政治や社会、経済が発展した都市であったと考えられ、初期ギリシャ文明の頂点であったことを示すという点。
登録基準(iv)
2つの遺跡は、芸術、建築、技術の面において、後のヨーロッパ文明の基礎となったミケーネ文明の文化が見られるということ。
登録基準(vi)
ミケーネとティリンスは、その後、3000年にも渡ってヨーロッパの文学や芸術に影響を与えたホメロスの『イーリアス』や『オデュッセイア』に関連しているという点。
世界遺産マニアの結論と感想
ミケーネとティリンスは、古代ギリシャ初期に栄えたミケーネ文明の都市だけあって、その後の古代ギリシャのルーツ的な建造物や都市設計などが見られ、これが後のヨーロッパ文化の基盤へとなっているという点で評価。そして、古代ギリシャの叙事詩のテーマとなったトロイア戦争に関連しているというのもポイント。
ちなみに、シュリーマンは少し「話を盛るクセ」があったため、胡散臭いと考える人もいて、アガメムノンのマスクも功名心のために彼が自分で作ったものなんじゃないか?という疑惑があったほど。結論、このマスクは古代から存在していたものではあるのは確かなのですが、彼は「アガメムノンのものである」と主張して亡くなりました。実際はトロイア戦争よりも古い時代のものであるのは確実なので、偽物ではないけど、ある意味「勘違い」はしていたという、なんとも言えないオチに…。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。