和歌山県の世界遺産「壇上伽藍(高野山)」とは?金剛峯寺との違いは?世界遺産マニアが解説

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登録区分文化遺産
登録基準(2), (3), (4), (6)
登録年2004年

壇上伽藍(だんじょうがらん)は「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産の一つ。高野山の中でも最も古いエリアで修業の場であり、空海独自の密教理論を体現した場所でもあります。ところで、壇上伽藍はなぜ世界遺産なのでしょうか?

ここでは壇上伽藍がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、壇上伽藍について詳しくなること間違なし!

目次

壇上伽藍(高野山)とは?

根本大塔/壇上伽藍(高野山)

一般的に和歌山県の高野町にある山に囲まれた盆地が地名として「高野山」と呼ばれています。ここは真言宗の総本山であり、正式名称は「高野山金剛峯寺(こうやさんこんごうぶじ)」。

壇上伽藍は高野山の中心部にあり、金剛峯寺の総本堂にあたる金堂がある地区。空海が初めて着手した場所で、ここは中門、講堂(金堂)、僧坊、多宝塔など、密教理論に基づいた伽藍配置となっていて、「曼荼羅(まんだら)の世界を表現しているとされるもの。これらは全国の真言寺院のモデルとなりました。

講堂(金堂)

講堂(金堂)/壇上伽藍(高野山)
画像素材:写真AC

高野山の総本堂であり、819年から建造が始まり、838年に完成したとされます。しかし、何度も再建を繰り返し、現在の金堂は1926年に消失されたため、1932年に再建された7代目。よって、鉄筋コンクリート造りとなっています。

根本大塔(こんぽんだいとう)

根本大塔/壇上伽藍(高野山)

修行の中心地である根本大塔は、高野山のシンボル的存在。塔内は、大日如来像の周りに四仏(しぶつ)、さらに16本の柱に十六菩薩などで囲まれた曼荼羅(まんだら)のように配置され、構成されているのが特徴。

中門

中門/壇上伽藍(高野山)

金堂南側に位置する壇上伽藍の入口でもある門。1843年に消失してしまいましたが、2015年に再建されました。五間二階の楼門となっていて、両脇には持国天(じこくてん)と多聞天(たもんてん)の像が残っていて、再建時には、増長天・広目天像も新造して四天王像を安置する四天門となりました。

壇上伽藍(高野山)はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

東塔/壇上伽藍(高野山)

壇上伽藍が評価されたのが、以下の点。

登録基準(ii)
紀伊山地に残る霊場と参詣道は、神道と仏教が融合が見られ、東アジアにおける宗教文化の交流と発展を示すということ。

登録基準(iii)
紀伊山地に点在する神社や寺院は、この地の慣習を含めて、1000年以上に渡る日本独自の宗教の発展を示すものであるという点。

登録基準(iv)
紀伊山地は、日本各地の寺社の建築様式に大きな影響を与え、それらの形成のルーツともなっているという点。

登録基準(vi)
紀伊山地の霊場と森林には、1200年に渡って神の宿る地として信仰が維持され、それらが景観に見られるということ。

世界遺産マニアの結論と感想

壇上伽藍は、日本各地の建築様式に影響を与えた建造物で、日本独自の宗教観が見られ、現在も信仰が維持されているという点で評価されています。

ちなみに、敷地内には「御社(みやしろ)」と呼ばれる神社があり、これは山麓の丹生都比売神社(にうつひめじんじゃ)から地主神から勧請(かんじょう、神仏の分霊を迎えること)したことで建造したもの。寺院なのに神社があるのは、そもそも空海は日本各地の神々によって自分の教えが守られていくという思想を持っていて、これが日本独自の神仏習合へと繋がっていったため、ある意味、神仏習合の元祖的存在。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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