登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (3), (5) |
登録年 | 1999年 |
ルーマニア北西部、トランシルヴァニア地方に位置する小さな要塞都市だったシギショアラ。ここはトランシルヴァニア・サクソン人として知られるドイツ系の職人や商人によって設立されました。シギショアラは数世紀にわたって商業都市として発展し、現在もその姿を残しているという点で評価されています。
ここでは、シギショアラ歴史地区がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、シギショアラについて詳しくなること間違いなし!
シギショアラ歴史地区とは?
シギショアラはルーマニア中央部に位置する町で、トランシルヴァニア地方としては南東に位置します。このエリアには、トランシルヴァニア・ザクセン人というドイツ系の入植者が住んでいました。彼らは13世紀にモンゴル人の侵略を経験したことから、町や教会に要塞を作り、いざという時には防衛できるようにしたのです。シギショアラもその時代に整備された要塞都市でした。
町はトランシルヴァニア・ザクセン人によって12世紀に標高425mの丘の上に築かれ、14世紀には見張り塔と城塞が建造、この頃に要塞都市としての機能が完成しました。最盛期は15〜16世紀ですが、17世紀から徐々に衰退。しかし、早い段階で衰退した影響か、中世の町並みが破壊されることなく残されたことが、この都市の価値を高めることになりました。
登録されている主な構成資産
時計塔
町のシンボル的存在で、町を囲む9つの塔の中でも最も高い塔。14世紀に建造され、屋根には4つの塔を持つ豪華な装飾を持つもの。現在残る塔は17世紀に再建されたもので、機械仕掛けのからくり時計が追加されました。これは今でも機能していて、2つの時計盤にはローマ神話をテーマにした人形が出てくるような仕組みになっています。
8つの塔
ブリキ職人の塔、皮なめし職人の塔、綱職人の塔、精肉業者の塔、毛皮職人の塔、仕立業者の塔、製靴職人の塔、鍛冶職人の塔など、職人の名前が付いているのは商業都市らしくギルドが力を誇っていたということを表しています。
山上教会
屋根つきの木造階段がシンボルで、これは山の上にある学校に行く人々のために作られたというもの。頂上には教会があり、完成したのは16世紀。典型的なゴシック様式の建設物で、現在はルーテル派(プロテスタントの一つ)の教会となっています。
ヴラド・ドラクルの家(ヴラド3世の生家)
1431〜1435年にワラキア(ルーマニア南部)公だったヴラド2世が幽閉されていた場所。ここで生まれたのがヴラド3世。別名ヴラド・ツェペシュ(串刺し公)といって、その残虐な戦いぶりからドラキュラのモデルになったとされています。ちなみに、現在はレストランになっており、店名も「カーサ・ヴラド・ドラクル(ヴラド・ドラクルの家)」。
シギショアラ歴史地区はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
シギショアラが評価されたのが、以下の点。
登録基準(iii)
シギショアラの町はトランシルヴァニア・サクソン人の優れた文化が見られるという点。
登録基準(v)
シギショアラは、中欧のラテン文化と東欧の正教会の文化の境目にある小さな要塞都市の優れた例であるということ。
世界遺産マニアの結論と感想
シギショアラは優れた建築物や建築様式の面では評価されておらず、あくまでもトランシルヴァニア・サクソン人の文化と要塞都市での暮らしに焦点が当たって評価されています。
ちなみに、現在トランシルヴァニア・サクソン人はルーマニアではほとんど住んでおらず、中には荒廃した教会もあるほど。とはいえ、彼らが築いた都市は旧市街の景観を残しつつ、現在は観光地として保存されています。実はシギショアラの郊外には「ドラキュラのテーマパーク」を作るという恐ろしい計画もあったのです。しかし、現地に住む人々がこの町を愛する気持ちが強かったためか、その計画は頓挫してしまいました。この町を築いた人々はいなくなっても、シギショアラの旧市街はここに住む人々に守られ続けているのです。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。