サウジアラビアの世界遺産「ディルイーヤのツライフ地区」とは?世界遺産マニアが解説

登録区分文化遺産
登録基準(4), (5), (6)
登録年2010年

サウジアラビアの首都リヤドの北西部にあるディルイーヤは、サウジアラビアの王族サウード家の本拠地で、最初の王朝・第一次サウード王国(1744〜1818年)の首都であった場所。現在は廃墟となっているツライフ地区には、宮殿や官庁が置かれ、アラビア半島のオアシス独特の建築様式である「ナジャディ様式」の邸宅が見られます。

ここではディルイーヤのツライフ地区がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ディルイーヤのツライフ地区について詳しくなること間違いなし!

目次

ディルイーヤのツライフ地区とは?

ディルイーヤのツライフ地区
画像素材:shutterstock

首都リヤドの北西部にあるディルイーヤは、第一次サウード王国時代の首都であり、現在のサウジアラビア王国の王族であるサウード家のルーツでもある場所。ここは15世紀に建造されたとされ、18〜19世紀になるとオアシスの大都市として栄え、政治と宗教において大きな役割を持っていました。

サウード家は、ワッハーブ派という厳格な宗派の改革運動を支持していて、その中心人物であった宗教学者ムハンマド・イブン・アブドゥルワッハーブをこの街に迎え入れたことで、勢力拡大の土台が作られたという面もあります。ツライフ地区には、サウード家の宮殿や行政機関が作られ、市街地にはアラビア半島中央部の独特の建築様式であるナジャディ様式の邸宅が見られるのが特徴。

しかし、1818年に当時のイスラム世界の強国であったオスマン帝国の遠征軍によって破壊され、それと同時に第一次サウード王国も崩壊。住民は現在のリヤドへと移動していき、ここは破壊された建物がそのまま残され、遺跡となりました。

ディルイーヤのツライフ地区はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

ディルイーヤのツライフ地区
画像素材:shutterstock

ディルイーヤのツライフ地区が評価されたのが、以下の点。

登録基準(iv)
ツライフ地区は、砂漠という環境にうまく適応し、日干し煉瓦などを使用した多くの宮殿と城壁で構成されていて、今でもナジャディ様式の建築物が並んでいるということ。

登録基準(v)
ツライフ地区は、18世紀にここが首都になった後、街が砂漠という環境に合わせて整備されていき、人間の定住における重要な段階を示しているという点。

登録基準(vi)
ディルイーヤは、サウジアラビア王国で最も信徒の多いワッハーブ派の中心地であった場所で、宗教学者ムハンマド・イブン・アブドゥルワッハーブが亡くなった地であったから、サウジアラビアのイスラム社会において影響力が強かったということ。

世界遺産マニアの結論と感想

ディルイーヤは、現在のサウジアラビア王国のルーツともされる場所で、国内でも信徒の多いワッハーブ派の本拠地だったことから、現在もサウジアラビア国民にとって重要な場所でもあります。そして、18世紀に大きく整備された都市は、アラビア半島独自のナジャディ様式などが見られ、砂漠に適合した造りであったという点で評価。

ちなみに、現在のディルイーヤは、1970年代に近代的な都市が建設され、今ではすっかりと観光地になっています。ツライフ地区以外は世界遺産に登録されていないので、割と再開発が進み、おしゃれなカフェやショップなども並ぶように。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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