登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (1),(2),(4),(5) |
登録年 | 1997年 |
イタリア北西部の大都市トリノは、19世紀にイタリアを統一したサヴォイア家の拠点であり、サヴォイア公国とサルディーニャ王国の首都でもありました。王族は一流の芸術家や建築家を集めて、その支配力を誇示するために豪華絢爛な王宮や邸宅を築きました。
ここではサヴォイア王家の王宮群がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、トリノの王宮群について詳しくなること間違いなし!
サヴォイア王家の王宮群とは?トリノになぜ王宮があるの?
ピエモンテ州の州都であるトリノは、古代ローマに起源を持つイタリアでも屈指の工業都市。フランスにルーツを持つサヴォイア家がサヴォイア公国を開くと、16世紀にここが首都となりました。そして、現在残るトリノの王宮や邸宅群はこの時代に築かれたもの。
17〜18世紀にカルロ・エマヌエーレ1世とその妻によってトリノはバロック様式の建造物が多く建造され、彼らは当時の一流の芸術家や建築家をここに呼び寄せ、豪華な王宮や宮殿、そして狩猟小屋を作らせました。これはサヴォイア王家の支配力を誇示するという目的もあったというのが特徴。
やがてサルディーニャ島を含めてサルディーニャ王国になると、1861年にイタリア王国が誕生するものの、トリノが首都であったのは1865年までで、それ以降はフィレンツェやローマに移っていきます。
登録されている主な構成資産
王宮
トリノの中心部にある豪華な王宮。ここはサヴォイア家がトリノに遷都した後、16〜17世紀にかけて建造されたシンメトリーな建造物です。17世紀にはバロック様式の設計が施され、豪華絢爛な装飾が加えられました。現在でも戴冠式が行われた部屋が残っています。
王宮の裏側には庭園が広がっていて、ここはヴェルサイユ宮殿の庭園を設計した、造園家のアンドレ・ル・ノートルが担当したことで知られます。
カリニャーノ宮殿
これも中心部にある赤いレンガ造りが特徴の宮殿。1679年、サヴォイア家の分家であるサヴォイア=カリニャーノ家の王子の邸宅であった為、その名が付けられました。ここはバロック様式の建築家であるグアリーノ・グアリーニによって建設。
やがてサルディーニャ王国時代は議事堂となり、現在は国立イタリア統一博物館となっています。
ヴァレンティーノ城
市内南部に広がるヴァレンティーノ公園に位置する1564年建造の城。もともとはサヴォイア公であるエマヌエーレ・フィリベルトが購入したもので、ポー川に面した宮殿、カルロ・ディ・カステラモンテは1660年に完成。ここは4つの塔と広い中庭を持つ構造になっていて、フランス風の宮殿となっています。
サヴォイア王家の王宮群はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
トリノの王宮群が評価されたのが、以下の点。
登録基準(i)
サヴォイア王家の王宮群は、優れた建築家によって何十年にも渡って建造されたバロック様式の芸術的建造物の傑作であるという点。
登録基準(ii)
サヴォイア王家の王宮群は、17〜18世紀に流行したバロック様式によるヨーロッパ全体の価値観の交換を反映していて、これにより建築物にも創造性が表れているということ。
登録基準(iv)
サヴォイア王家の王宮群は、バロック様式の傑作であり、サヴォイア王家の支配力を示す記念碑的な建造物であったという点。
登録基準(v)
文化と自然が組み合わせた、サヴォイア王家の王宮群は、後にイタリアを統一するサヴォア家が主導し、郊外の田園地帯などに建築物を築き上げ、都市部分と合わせて権威を示すという計画であったということ。
世界遺産マニアの結論と感想
イタリア王国を築き上げたサヴォイア王家はトリノを基盤にしていて、ここは16世紀以降に彼らの勢力が大きくなるにつれ、当時流行していた豪華なバロック様式の建築物が築かれるようになり、それらは彼らの支配力を示すものでありました。現在でも王宮や宮殿からは当時の様子がよく分かるという点で評価されています。
ちなみに、トリノといえば2006年にトリノ五輪が開催された地ではありますが、町中にスタジアムが築かれたものの、実際の競技は近くの山岳地帯をメインに行われました。イタリアらしく、オリンピック委員会のラウンジが中心部に位置する世界遺産のマダマ宮殿だったりと、歴史を感じる建築物も利用されたのです。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。