世界遺産に登録されている海外のお城はどんなもの?それぞれを一覧にして世界遺産マニアが解説

  • URLをコピーしました!

世界遺産といえば、やはり人気があるのがお城!ヨーロッパの豪華絢爛なお城から要塞の機能がある堅固な城までさまざま。ところで、世界遺産に登録されたお城はどんなものがあるでしょうか?

ここでは、世界遺産に登録されている海外のお城を世界遺産マニアが一覧にして分かりやすく解説。各国の個性あふれるお城を簡潔に解説していきましょう。

目次

エディンバラ城/イギリス

エディンバラ城/イギリス
画像素材:shutterstock

スコットランドの首都エディンバラにある、キャッスル・ロックと呼ばれる小高い岩山に建つ城。もともとは7世紀ころから要塞が造られていたという説もありますが、現在見られる建物で最も古い部分は12世紀のもので、ほとんどの建設物は16世紀以降に再建されました。現在は軍事博物館として使用されています。

「クラウン・ルーム」には、かつてスコットランド王が戴冠する際に使用した「スクーンの石(運命の石)」があり、これは1996年にイングランドから返還されたもの。城で最も古い部分は、12世紀に建造された聖マーガレット教会堂で、これはスコットランド王のデイヴィッド1世が、母のマーガレット・オブ・スコットランドのために建造。

詳細はこちら↓

あわせて読みたい
イギリスの世界遺産「エディンバラ城」とは?ハリー・ポッターとの関係も含めて世界遺産マニアが解説 エディンバラ城は「エディンバラの旧市街と新市街」の構成遺産の一つ。最も古い部分は12世紀というほどに歴史が深い城で、歴代のスコットランド王の居城として、何世紀にも渡って修復・再建が続けられていきました。ところで、エディンバラ城はなぜ世界遺産なのでしょうか? ここではエディンバラ城がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、エディンバラ城について詳しくなること間違なし!

コンウィ城/イギリス

コンウィ城/イギリス
画像素材:shutterstock

ウェールズ北西部にあるグウィネズ州と周辺には、13世紀後半にイングランド王エドワード1世(1272〜1307年)によって建造された城郭が残っています。その中の一つ、コンウィ城は風景画家のモデルとなるほどに芸術家たちに愛されるようになりました。

コンウィはコンウィ州の州都で、中世からコンウィ川の河口にある集積地でした。13世紀後半になるとエドワード1世がこの地を征服し、宮殿跡に城と城壁を建造。17世紀までは栄枯盛衰を繰り返したものの、18世紀には完全に廃墟になりました。

詳細はこちら

あわせて読みたい
イギリスの世界遺産「コンウィ城」とは?世界遺産マニアが解説 コンウィ城は「グウィネズのエドワード1世の城郭と市壁」の構成遺産の一つ。その中でもコンウィ城はどんな役割を持つ城だったのでしょうか? ここではコンウィ城がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、コンウィ城について詳しくなること間違なし!

カルカソンヌ/フランス

カルカソンヌ/フランス
画像素材:shutterstock

カルカソンヌ市は、フランス南西部のオード県の県庁所在地。一般的に「カルカソンヌ」といえば、現在の都市全体を指し、南東部に広がる城塞都市は「カルカソンヌ=シテ」と呼ばれています。

ここは古代ローマ時代から城壁が建造され、13世紀には現在の町並みになったものの、17世紀にピレネー条約が結ばれて以降は重要度が下がりました。19世紀〜20世紀前半には大幅に改築され、美しい景観から現在では国内でも有数の観光地に。

詳細はこちら↓

あわせて読みたい
フランスの世界遺産「歴史的城塞都市カルカソンヌ」とは?世界遺産マニアが解説 フランス南西部の都市カルカソンヌは二重に建造された城壁が残り、中世から続く要塞都市。ここには古代ローマ時代から城壁が建造され、13世紀には現在の町並みになるものの、17世紀にピレネー条約が結ばれて以降は重要度は下がりました。19世紀〜20世紀前半には大幅に改築され、美しい景観から現在では国内でも有数の観光地となりました。 ここでは歴史的城塞都市カルカソンヌがなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、 カルカソンヌについて詳しくなること間違なし!

シャンボール城/フランス

シャンボール城/フランス
画像素材:shutterstock

フランス中部、ロワール渓谷沿いでも最も広大な城。ヴァロワ朝のフランソワ1世によって1519年から建築が始められたものですが、彼の治世の間はほぼ滞在することはありませんでした。

もともとは狩猟小屋として建造されたものですが、中央の本丸を囲むように4つの塔で構成され、部屋は440もあり、階段は74ヶ所もあるという広大な城に改築されました。特に二重らせんの階段は2つの入口からそれぞれ入ると、決して出会うことがないという不思議な構造。

詳細はこちら↓

あわせて読みたい
フランスの世界遺産「シャンボール城」とは?螺旋階段も含めて世界遺産マニアが解説 シャンボール城は「シュリー=シュル=ロワールとシャロンヌ間のロワール渓谷」の構成遺産の一つ。ここはロワール渓谷でも最大規模の城で、フランスでも随一の美しい装飾を持つことでも有名。ところで、シャンボール城はなぜ世界遺産なのでしょうか? ここではシャンボール城がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、シャンボール城について詳しくなること間違なし!

セゴビアのアルカサル(城)/スペイン

セゴビアのアルカサル(城)/スペイン
画像素材:shutterstock

スペイン中央部・セゴビア旧市街の郊外に位置する城。もともとはイスラム教徒によって土台が築かれたとされますが、11〜12世紀にカスティーリャ王国がこの地を支配するようになると、アルフォンソ6世によって城が建造されています。

12〜13世紀のアルフォンソ8世の時代になると王宮として利用され、その後は増築が進み、15世紀にはイサベル1世がここで即位するほどに重要な地となりました。何度か改修され、現在の姿になったのは、19世紀頃。ディズニー映画の『白雪姫』に登場する城のモチーフとなったということで有名です。

詳細はこちら↓

あわせて読みたい
スペインの世界遺産「セゴビアのアルカサル(城)」とは?世界遺産マニアが解説 セゴビアのアルカサル(城)は「セゴビア旧市街と水道橋」の構成遺産の一つ。かつてスペイン王国が誕生する以前には王宮が置かれていて、その美しい外観はディズニー映画のモデルにもなったほど。ところで、アルカサルはなぜ世界遺産なのでしょうか? ここではアルカサルがなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、アルカサルについて詳しくなること間違なし!

プラハ城/チェコ

プラハ城/チェコ
画像素材:shutterstock

プラハは、チェコの首都であり、ボヘミア地方(現在のチェコ一帯)の最大規模の都市。プラハ城はフラチャヌィの丘の上に築かれた広大な城です。

ここには9世紀には既に城壁が築かれていて、10世紀にはプラハ最古の聖イジー聖堂と聖ヴィート教会が建造されます。現在の城のベースとなったロマネスク様式の宮殿は12世紀に建造されました。14世紀になると神聖ローマ皇帝カール4世が王宮をゴシック様式で再建。現在は大統領府が置かれています。

詳細はこちら↓

あわせて読みたい
チェコの世界遺産「プラハ歴史地区」とは?その街並みを世界遺産マニアが解説 チェコの首都プラハは、11〜18世紀の間に建造された美しい建造物が多く残る都市。特に神聖ローマ帝国皇帝のカール4世が統治したころには、帝国の首都となり、プラハ城や聖ヴィート大聖堂、カレル橋、数多くの宮殿や教会などが整備され、「黄金のプラハ」と呼ばれるほどに栄えた街となりました。 ここでは、プラハ歴史地区がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、プラハについて詳しくなること間違なし!

スピシュ城(スピシュスキー城)/スロヴァキア

スピシュ城(スピシュスキー城)/スロヴァキア
画像素材:shutterstock

スロヴァキアの東部に位置すスピシュスキー城は、東方から侵攻してくるタタール人から防衛するために作られた広大な要塞で、13〜14世紀の東欧の集落の典型的な例。

12世紀に建造され、何度も改築が行われたため、ロマネスク様式の聖堂にゴシック様式、ルネサンス様式、バロック様式などの建築物が加えられていきました。18世紀に火災が発生した後は、廃墟へ。しかし、1961年に文化財に登録され、保護されるようになると1993年には世界遺産に登録されました。

詳細はこちら↓

あわせて読みたい
スロヴァキアの世界遺産「レヴォチャ歴史地区、スピシュスキー城及びその関連する文化財」とは?世界遺... スロヴァキアの東部に位置すスピシュスキー城は、東方から侵攻してくるタタール人から防衛するために作られた広大な要塞で、13〜14世紀の東欧の集落の典型的な例。そして、2009年には周囲の町・レヴォチャや集落なども追加で登録され、それぞれゴシック様式やバロック様式の建築物が多く残っています。 ここでは、レヴォチャ歴史地区、スピシュスキー城及びその関連する文化財がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、レヴォチャとスピシュスキー城について詳しくなること間違なし!

カステル・デル・モンテ/イタリア

カステル・デル・モンテ/イタリア
画像素材:shutterstock

イタリア南東部にあるカステル・デル・モンテは、1240年に学問と芸術を好んだ神聖ローマ皇帝・フリードリヒ2世によって建設された城。天文学や数学などを駆使して、八角形にされており、城は教養が高かったフリードリヒ2世の数学への深い関心が見られます。

城は当時としてはユニークなデザインで、八角形の構造になっており、それぞれの角にはまた八角形の塔が設けられています。実は黄金比を用いられて建設されているという点で、ルネサンスを先取りしたもの。

詳細はこちら↓

あわせて読みたい
イタリアの世界遺産「カステル・デル・モンテ」とは?世界遺産マニアが解説 イタリアの南部、プッリャ州の郊外にある城。13世紀に神聖ローマ皇帝・フリードリヒ2世によって建造されました。城はイスラムや北欧のゴシック様式などの建築技術を取り入れ、上空から見ると八角形になるような幾何学的な構造になっています。 ここでは、今回はカステル・デル・モンテがなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、カステル・デル・モンテについて詳しくなること間違なし!

ヴァルトブルク城/ドイツ

ヴァルトブルク城/ドイツ
画像素材:shutterstock

ドイツ中央部・アイゼナハ郊外の山の上にあるのがヴァルトブルク城。ここは11世紀にテューリンゲン伯によって建造された、後期ロマネスク様式の城です。

19世紀に再建されたものの、邸宅や騎士館などは11世紀の建造当時の姿をよく残します。そして、16世紀にマルティン・ルターがこの城に亡命し、新約聖書のドイツ語訳を行った場所としても有名。

詳細はこちら↓

あわせて読みたい
ドイツの世界遺産「ヴァルトブルク城」とは?ルターのエピソードを含めて世界遺産マニアが解説 ドイツ中部の都市アイゼナハ郊外にあるヴァルトブルク城は、19世紀に再建されたものの、邸宅や騎士館などは11世紀の建造当時の姿をよく残します。そして、16世紀にマルティン・ルターがこの城に亡命し、新約聖書のドイツ語訳を行った場所としても有名。 ここではヴァルトブルク城がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ヴァルトブルク城について詳しくなること間違なし!

ホーエンザルツブルク城/オーストリア

ホーエンザルツブルク城/オーストリア
画像素材:shutterstock

ザルツブルクは、ドイツの国境近くにあるザルツブルク州の州都。ホーエンザルツブルク城は、街の南の丘に11世紀に建造された城。神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世とローマ教皇グレゴリウス7世の間に起こった叙任権闘争の結果、当時教皇派であった司教が皇帝派に対抗するために建造しました。

現在見られる城は17世紀後半のものですが、15世紀までは司教の住居として使用されていたものの、それ以降は牢獄や兵舎として使用されたため、保存状態はかなり良好。

詳細はこちら↓

あわせて読みたい
オーストリアの世界遺産「ザルツブルク市街の歴史地区」とは?白い黄金を含めて世界遺産マニアが解説 オーストリア北西部にあるザルツブルクは、中世から19世紀まで司教が統治していた都市で、バロック様式の美しい教会や建築物が並んでいます。ここはモーツァルトの出身地でもあり、音楽の都としても有名。 ここでは、ザルツブルク市街の歴史地区がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ザルツブルクについて詳しくなること間違なし!

クロンボー城/デンマーク

クロンボー城/デンマーク
画像素材:shutterstock

デンマークとスウェーデンの間のエーレスンド海峡にある要塞の機能を持った城。 バルト海への玄関口であり、たった4kmしかないこの狭い海峡で、15〜19世紀までデンマークはクロンボー城を利用して、海峡を統治していました。

城の構造は、中庭を囲むように4つの建築物を合わさったルネサンス様式のスタイル。クロンボー城は、シェイクスピアの戯曲『ハムレット』で「エルシノア城」として登場しており、ここでハムレットの演劇公演が行われることも。

詳細はこちら↓

あわせて読みたい
デンマークの世界遺産「クロンボー城」とは?世界遺産マニアが解説 クロンボー城は、デンマークのシェラン島にある古城。16世紀にルネサンス様式に改築されたこの城は、海峡を挟んでスウェーデンを監視できる位置に立ち、軍事的に重要な役割を果たしてきました。そして、城はシェイクスピアのハムレットの舞台としても有名です。 ここでは、クロンボー城がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、クロンボー城について詳しくなること間違なし!

マルボルクのドイツ騎士団の城/ポーランド

マルボルクのドイツ騎士団の城/ポーランド
画像素材:shutterstock

マルボルクは、ポーランド北部にあるポモージェ県を流れるノガト川の東岸に13世紀にドイツ騎士団によって建造された町。城は修道院兼要塞として13世紀に設立され、14世紀には騎士団国家の本部となりました。

ここは赤レンガで作られたゴシック様式の城で1万人もの人々を収容でき、武器庫や礼拝堂なども存在。第二次世界大戦で破壊されたものの、再び修復され、当時の雰囲気を残す建造物が今でも存在しています。

詳細はこちら↓

あわせて読みたい
ポーランドの世界遺産「マルボルクのドイツ騎士団の城」とは?世界遺産マニアが解説 ポーランド北部に位置するマルボルクは、13世紀にドイツ騎士団によって城が建造され、ドイツ騎士団の本拠地となり、14世紀以降改築が進められ、赤レンガ造りのゴシック様式の修道院兼要塞となりました。第二次世界大戦で破壊されたものの、再び修復され、当時の雰囲気を残す建造物となっています。 ここではマルボルクのドイツ騎士団の城がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、マルボルクのドイツ騎士団の城について詳しくなること間違なし!

ミール城/ベラルーシ

ミール城/ベラルーシ
画像素材:shutterstock

ベラルーシ西部のミールは、ベラルーシ西部のフロドナ州カレリーチにあるのどかな村。村の名を有名にしているのは、華麗なミール城の存在です。この城は15世紀に建設され、当時はゴシック様式でしたが、やがてルネサンス様式やバロック様式などの要素が加えられていきました。

その後、城は放棄・破壊されたものの、19世紀末には修復され、当時の姿を現在に残しています。現在は博物館となっていて、甲冑や調度品などが展示。

詳細はこちら↓

あわせて読みたい
ベラルーシの世界遺産「ミール城と関連建物群」とは?世界遺産マニアが解説 ベラルーシ西部、ミール村にはルネサンス様式の大きな城が残っています。この城は15世紀に建設され、当時はゴシック様式でしたが、やがてルネサンス様式やバロック様式などの要素が加えられていきました。その後、放棄・破壊されたものの、19世紀末には修復され、当時の姿を現在に残しています。 ここでは、ミール城と関連建物群がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ミール城について詳しくなること間違なし!

水原華城/韓国

水原華城/韓国
画像素材:shutterstock

首都ソウルから南へ35m。京畿道水原市には、石とレンガで構成された壮大な要塞があります。李氏朝鮮第22代国王・正祖はこの地を愛し、父・思悼世子の墓をここへ移動させました。水原華城は、思悼世子の墓を防衛する目的で造られたもの。

6km近くもある城壁は現在も残り、東西南北に壮麗な4つの門が設置され、ヨーロッパの技術も導入された軍事建築として評価されています。

詳細はこちら↓

あわせて読みたい
韓国の世界遺産「水原華城」とは?ドラマでも有名な城を世界遺産マニアが解説 ソウルから南に35kmにある水原市。市内にある水原華城(スウォンファソン/すいげんかじょう)は18世紀の終わりに李氏朝鮮第22代国王・正祖が、父である思悼世子の墓をここに移し、その周囲を囲むように堅固な城壁を建設。6km近くもある城壁は現在も残り、東西南北に壮麗な4つの門が設置され、ヨーロッパの技術も導入された軍事建築として評価が高いもの。 ここでは、水原華城がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、水原華城について詳しくなること間違いなし!

赤い城(レッド・フォート)/インド

赤い城(レッド・フォート)/インド
画像素材:shutterstock

インドの首都デリーの中心部に位置する広大な城で、ムガル帝国の第5代皇帝シャー・ジャハーンが、アーグラから遷都した際に居城としたもの。城は1639〜1648年にかけて建造され、赤い砂岩を使用したことから「赤い城(レッド・フォート)」と呼ばれます。

城内にある建築物はイスラムの建築様式を基本としつつも、ペルシャやヒンドゥー教の影響なども見られます。

詳細はこちら↓

あわせて読みたい
インドの世界遺産「赤い城(レッド・フォート)の建造物群」とは?世界遺産マニアが解説 インドの首都デリーは、ムガル帝国5代目皇帝であるシャー・ジャハーンによって17世紀に建造された城。赤い砂岩を使用したことから「赤い城(レッド・フォート)」と呼ばれ、城内にある建築物はイスラムの建築様式を基本としつつも、ペルシャやヒンドゥー教の影響なども見られます。 ここでは、赤い城(レッド・フォート)の建造物群がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、赤い城について詳しくなること間違なし!

クラック・デ・シュヴァリエ/シリア

クラック・デ・シュヴァリエ/シリア
画像素材:shutterstock

クラック・デ・シュヴァリエは、シリア西部にある都市ホムスから西へ約40kmの位置にある城で、1144〜1271年にかけて、騎士修道会の一つ、聖ヨハネ騎士団の本拠地となった場所。

しかし、1271年にはイスラム王朝のマムルーク朝によって攻め落とされ、イスラム様式の城へと改装されます。この頃に礼拝堂はモスクへと変更されました。

詳細はこちら↓

あわせて読みたい
シリアの世界遺産「クラック・デ・シュヴァリエとカルアト・サラーフ・アッディーン」とは?世界遺産マ... シリア西部にあるクラック・デ・シュヴァリエは、12〜13世紀に聖ヨハネ騎士団によって建造され、難攻不落の城として有名。そして、その北方にあるカルアト・サラーフ・アッディーンは「サラディンの要塞」という意味で、ビザンツ、ヨーロッパ、アラブなどのさまざまな建築様式が見られる城。 ここではクラック・デ・シュヴァリエとカルアト・サラーフ・アッディーンがなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、クラック・デ・シュヴァリエとカルアト・サラーフ・アッディーンについて詳しくなること間違なし!

アムラ城/ヨルダン

アムラ城/ヨルダン
画像素材:shutterstock

アムラ城は、首都アンマンから砂漠を越えた位置にあるドーム型の屋根を持つ離宮のこと。8世紀に建造された、ウマイヤ朝時代の要塞であるのと同時に、カリフの隠れ家的存在の建造物でもありました。

浴場ではイスラム教の教義とはほど遠い、裸婦をモチーフにしたフレスコ画など、イスラム教では珍しく世俗的な壁画デザインが見られます。

詳細はこちら↓

あわせて読みたい
ヨルダンの世界遺産「アムラ城」とは?世界遺産マニアが解説 首都アンマンから東へ約80kmの位置にある砂漠の城。アムラ城は「砂漠の城」ではあるものの、ここはウマイヤ朝(661〜750年)のカリフの離宮で、謁見の間や浴場などがある、カリフのための娯楽施設でした。そして、イスラム教の教義とはほど遠い、浴場では裸婦をモチーフにしたフレスコ画など、イスラム教では珍しく世俗的な壁画デザインが見られます。 ここではアムラ城がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、アムラ城について詳しくなること間違なし!

エルミナ城/ガーナ

エルミナ城/ガーナ
画像素材:shutterstock

ガーナ南部のベナン湾沿いには、かつて約500kmにも渡って60もの城塞があったとされます。エルミナはセントラル州に位置する港町で、ここには1482年にポルトガル人の建造された城があります。

城はサハラ砂漠以南でヨーロッパ人による最も古い建造物として有名で、16世紀の最盛期は世界における金の10分の1がここから輸出されるというほどに発展。その後、オランダやイギリスによって占領され、独立後、1990年代に改修されて現在に至ります。

詳細はこちら↓

あわせて読みたい
ガーナの世界遺産「ヴォルタ州、グレーター・アクラ州、セントラル州、ウェスタン州の城塞群」とは?ケ... ガーナ南部のベナン湾沿いには、かつて約500kmにも渡って60もの城塞があったとされますが、現在は3分の1ほど現存。ガーナは黄金海岸(ゴールドコースト)と呼ばれ、これらは15世紀にポルトガル人によって建造され、ヨーロッパ諸国によって18世紀まで商人の交易所として利用されてきたもの。 ここではヴォルタ州、グレーター・アクラ州、セントラル州、ウェスタン州の城塞群がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ベニン湾沿いの城塞群について詳しくなること間違なし!

サン=スーシ城/ハイチ

サン=スーシ城/ハイチ
画像素材:shutterstock

ハイチ北部にあるラフェリエール山の麓のミロという村の近くに築かれた宮殿で、アンリ・クリストフが建国の父デサリーヌを暗殺して王となると、彼の居城として1813年に完成したもの。ここはフランスのヴェルサイユ宮殿をモデルとしていて、豪華絢爛な宮殿から階段状の庭園など、かつてはバロック様式の優雅な建造物でした。しかし、1842年の地震により、深刻な被害を受け、現在は廃墟となっています。

詳細はこちら↓

あわせて読みたい
ハイチの世界遺産「シタデル、サン=スーシ城、ラミエール国立歴史公園」とは?世界遺産マニアが解説 ハイチ北部にあるラミエール国立歴史公園には、19世紀に建国の父であり、皇帝であったジャン=ジャック・デサリーヌを暗殺して即位したアンリ・クリストフが建造したシタデルとサン=スーシ宮殿が残っています。ここは自由を得た黒人奴隷によって建国されたハイチという国家のシンボル的存在。 ここではシタデル、サン=スーシ城、ラミエール国立歴史公園がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めばラミエール国立歴史公園について詳しくなること間違なし!

サン・ペドロ・デ・ラ・ロカ城/キューバ

サン・ペドロ・デ・ラ・ロカ城/キューバ
画像素材:shutterstock

キューバ東部の岩だらけの岬に築かれた石造りの要塞は、サンティアーゴ・デ・クーバの港を防衛するため、1590年にスペイン王・フェリペ2世によって建造が開始された城塞。

ここはイタリア出身の軍事専門建築家ジョヴァンニ・バッティスタ・アントネッリによって、ルネサンス様式の機能美と堅固さをあわせ持つ、新大陸におけるスペインの軍事建築の傑作でもあります。

世界遺産マニアの結論と感想

世界遺産に登録されているお城は本当に多種多様!美しい外観を持つ城から、どちらかというと要塞のような機能を持つ城までさまざま。とはいえ、どれも世界遺産に登録されているだけあって歴史が深く、それぞれに個性があるので、ぜひディープに楽しんでみてくださいね!

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

この記事が気に入ったら
いいね または フォローしてね!

  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

目次