登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (2), (4) |
登録年 | 1999年 |
メキシコ東部にある港湾都市であるカンペチェは、16世紀にスペイン人によって築かれ、ここは中米各地から銀や香木、毛皮などの富が集められた貿易居点でした。海賊が何度も襲撃したこともあり、街には多くの要塞が築かれ、城壁や要塞建築などが現在も残っています。
ここでは歴史的城塞都市カンペチェがなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、カンペチェについて詳しくなること間違いなし!
歴史的城塞都市カンペチェとは?
メキシコ東部にあるユカタン半島の西部に位置するカンペチェ州の州都。ここはマヤ文明の時代から都市が存在していましたが、16世紀にスペイン人によって征服され、植民都市となりました。カンペチェは植民地で獲得した銀や香木、毛皮などの富などをスペイン本国へ運ぶための重要な貿易拠点で、やがて北部のメリダに次ぐメキシコ湾で2番目に大きな都市へと成長。
しかし、街の富を狙う海賊が多く襲来。特にイギリスの海賊、フランス・ドレークなどが17世紀末から160年もの間、海賊の攻撃を受け続けてました。よって、防衛システムを築くことが急務となり、8つの要塞と六角形の市壁が建造されました。そして、街の郊外の丘の上にはサン・ホセ要塞とサン・ミゲル要塞、そして、サン・マティアス砲台なども建造。
軍事施設が築かれると都市は安定的に成長していき、バロック様式の建造物が並ぶようになりました。市壁に囲まれた、碁盤の目のように設計された中心部はスペイン人が暮らし、その周囲は先住民が暮らすという構造に。20世紀の近代化の波を受けなかったため、現在も中心部には大聖堂や教会、劇場、市立文書館など、1000を越えるバロック建築が並んでいます。
歴史的城塞都市カンペチェはどんな理由で世界遺産に登録されているの?
カンペチェが評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
カンペチェの城塞都市は、バロック様式の植民都市のモデルであり、中心部を囲んだ市壁はカリブ海の軍事建築の影響を受けたものであるという点。
登録基準(iv)
カンペチェの要塞は、カリブ海の海賊の襲撃から守るためにスペインによって設計された防衛システムで、17〜18世紀の軍事建築の傑作でもあるということ。
世界遺産マニアの結論と感想
カンペチェはスペイン本国へとモノを運ぶ拠点であったがために海賊の襲来が多く、それを撃退するために要塞や砲台など軍事建築が発展していき、カリブ海の他都市の影響を受けた町並みが現在でも見られるという点で評価。そして、市内に残るバロック様式の建築物は植民都市のモデルになったというのもポイント。
ちなみに、フランシスコ・ドレークは海賊活動が有名ではあるものの、軍人としても優秀で、やがて海軍提督となり、アルマダの海戦でスペインを破るという功績も。そして、マゼランに続き史上2番目の世界一周を達成した人物でもあります。…まぁ、海賊なので沿岸都市の金銀財宝の略奪ばっかり行っていましたが。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。