登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (1),(2),(4) |
登録年 | 2010年 |
イラン北西部にあるアルダビールは、サファヴィー朝(1501〜1736年)の前身であるサファヴィー教団の発祥の地。ここには教祖であるサフィー・アッディーンの霊廟があり、病院、モスク、学校など、霊廟を中心とした複合施設が16世紀初頭〜18世紀末にかけて建造され、イスラム建築の傑作でもあります。
ここではアルダビールのシャイフ・サフィーアッディーン廟の歴史的建造物がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、シャイフ・サフィーアッディーン廟の歴史的建造物について詳しくなること間違いなし!
アルダビールのシャイフ・サフィーアッディーン廟の歴史的建造物とは?
アルダビールは、アルダビール州の州都であり、標高約1500mにある高原都市でもあります。ここは後にイラン全体を支配するサファヴィー朝の前身であるサファヴィー教団が生まれた地。サファヴィー教団は教祖であるサフィー・アッディーンが開いた、コーランの聖句を唱え、踊るということで有名なスーフィズム(イスラム神秘主義)の一派であり、14世紀に誕生し、彼が亡くなった後も教団は勢力拡大を続け、やがて王朝を築くほどにこの地で経済的基盤を整えていきました。
街の中心部にあるシャイフ・サフィーアッディーン廟は、サフィー・アッディーンの霊廟であり、16世紀初頭〜18世紀末にかけて建造され、霊廟のある聖域だけでなく、学校や病院、図書館、病院、食堂などを含めた複合施設でもあります。シャイフの聖域に行くまでには7つの階段があるのですが、これは神秘主義の7つの段階を示したもの。そして、8つの門はスーフィズムの8つの態度を示しているというのが特徴。
アルダビールのシャイフ・サフィーアッディーン廟の歴史的建造物はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
シャイフ・サフィーアッディーン廟の歴史的建造物が評価されたのが、以下の点。
登録基準(i)
シャイフ・サフィーアッディーン廟は、外観や内観、建物の比率、デザイン、装飾に加え、聖域への階段はすべてスーフィズムの精神と芸術の調和のとれた個性あふれる施設であるという点。
登録基準(ii)
シャイフ・サフィーアッディーン廟は、イルハン朝(1258〜1335年)とティムール朝(1370〜1507年)の装飾や空間デザインの影響を受け、それにスーフィズムを融合させた建築物であり、芸術作品であるということ。
登録基準(iv)
シャイフ・サフィーアッディーン廟は、文化や福祉、教育的な機能を持つ16世紀の宗教的複合物の優れた例であり、それ以降のサファヴィー朝の建築様式が見られ、その後の宗教施設の原型となったという点。
世界遺産マニアの結論と感想
アルダビールは、サファヴィー教団の発祥の地だけあって、シャイフ・サフィーアッディーン廟は、かつての支配国の建築デザインから影響を受け、後のサファヴィー朝の宗教建築のモデルとなり、それが領土内で広がっていったという点で評価されています。
ちなみに、現在のアルダビールに住むのはほとんどがアゼリー人であり、彼らはアゼルバイジャン人とも呼ばれます。アザリー人は現在のアゼルバイジャンに住む大多数の民族でもあるのですが、実は人口としてはイランに住むアゼリー人が最も多く、国境をまたぎ、さまざまな国に暮らす民族でもあるのが特徴。
しかし、イランでは厳格なイスラム社会なので、飲酒などは禁止ですが、アゼルバイジャンは世俗主義が強く、飲酒どころか女性の服装も自由という国境を越えるだけで世界が変わるという不思議。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。