ドイツの世界遺産「ライン渓谷中流上部」とは?世界遺産マニアが解説

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登録区分文化遺産
登録基準(2),(4),(5)
登録年2002年

ドイツ西部を流れるライン川の中でも、コブレンツからビンゲン・アム・ラインへと続く約65kmもの区間が世界遺産が登録。川を通る船から通行料を取るために、関所の役目を持つ城や城塞が渓谷沿いに建造されました。古城やブドウ畑などが織りなす独自の景観は、作家や音楽家、芸術家などに影響を及ぼした文化的景観でもあります。

ここではライン渓谷中流上部がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ライン渓谷中流上部について詳しくなること間違いなし!

目次

ライン渓谷中流上部とは?

ライン渓谷中流上部
画像素材:shutterstock

ドイツ西部のラインラント=プファルツ州にあるライン川沿いの渓谷を中心に登録されいていて、60もの小さな町や段々状のぶどう畑、古城などが含まれています。

ここはライン渓谷の中でも深い渓谷があり、小さなV字型の渓谷が15kmも続くバッハラッハ渓谷、幅130mもないライン川で最も川幅が狭いというローレライなどで有名。この地は古来からライン川を通じて南北の交易が盛んに行われていて、1000年以上に渡って小さな町が築かれ、谷の側面にはぶどう畑が続くという景観が作られました。渓谷沿いには40以上の城や要塞が建造され、これはライン川を通る船から通行料を取るために、関所の役割があったもの。

カッツ城/ライン渓谷中流上部
画像素材:shutterstock

17〜18世紀のドイツとフランスの戦争により、これらは破壊され、ほとんどが廃墟となってしまいました。そして、18世紀後半になると、この廃墟のある風景が当時のヨーロッパで流行したロマン主義と相まり、19世紀に廃墟は修復されたり、再建されるようになります。

この頃に再建されたのはシュトルツェンフェルス城やカッツ城で、この地を代表する城でもあります。その後、ライン川独自の美しい景観が続くこの地は2世紀に渡って、詩人や画家、作曲家などに強い影響を与えました。

シュトルツェンフェルス城

シュトルツェンフェルス城/ライン渓谷中流上部
画像素材:shutterstock

コブレンツから南へ約6kmに位置し、ライン川とラーン川の合流地点近くにある城。ここは当時の司教が通行税を調整するために13世紀に建造した城ですが、19世紀に当時のプロイセン皇太子によって、彼の趣味に合うようにネオ・ゴシック様式で再建されています。礼拝堂は、カラフルなリブヴォールト(天井様式の一つ)が特徴で、花壇の装飾もまるでおとぎ話のよう。

ライン渓谷中流上部はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

カッツ城/ライン渓谷中流上部
画像素材:shutterstock

ライン渓谷中流上部が評価されたのが、以下の点。

登録基準(ii)
ライン渓谷中流上部は、ヨーロッパでも重要な交易ルートの一つで、2000年に渡って地中海と北欧の文化交流を促進したという役割もあったという点。

登録基準(iv)
ライン渓谷中流上部は、人間が2000年に渡って深い渓谷を活用し、町やインフラなどを風景に合うように建造した文化的景観であるということ。

登録基準(v)
ライン渓谷中流上部は、狭い渓谷の中で伝統的な生活と交流手段が進化した地で、特に斜面の段々畑は2000年以上に渡って変化し、独自の景観が形成されてきたという点。

世界遺産マニアの結論と感想

ライン渓谷中流上部は、かつてライン川の重要な交易ルートだった時代の名残が今でも見られ、南北の文化が交差し町や城などは渓谷の地形に合わせて発展してきたという文化的景観が見られるという点で評価されています。

ちなみに、ローレライには、岩山にいる少女が船頭が誘惑し、そのうち船が川の中に飲み込まれてしまうというローレライ伝説が残っています。これはローレライが川幅が狭く、流れが早いため事故が発生するということから伝説が生まれたそう。19世紀の詩人ハイネがこれをテーマにした詩を詠んだものが世界的に有名ではあるものの、史料では10世紀から残る歴史ある伝説でもあります。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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