登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (2), (4), (6) |
登録年 | 1992年 |
カレル橋は「プラハ歴史地区」の構成資産の一つ。1402年に完成した古い橋で、欄干には30体もの彫像が並ぶことでも知られます。ところで、カレル橋はなぜ世界遺産なのでしょうか?
ここではカレル橋がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、カレル橋について詳しくなること間違いなし!
プラハのカレル橋とは?
ヴルタヴァ川に架かるプラハ最古の石橋で、1357年に神聖ローマ皇帝カール4世(1316〜1378年)によって建設が始まり、1402年に完成。19世紀前半ころまでは、旧市街と新市街を結ぶ唯一の橋であったために「プラハ橋」と呼ばれていたものの、1870年からカレル橋と呼ばれるようになりました。
全長は約515mで、3つの橋塔があり、旧市街側にあるものはゴシック様式のもの。橋の欄干には30体の彫刻が並んでいて、ほとんどがバロック様式のものですが、ゴルゴダの丘で磔にされたイエス・キリストをモチーフにした「十字架像」は14世紀には存在していたとされています。17世紀になると、ボヘミアの守護聖人である「ヤン・ネポムツキー(ネポムクのヨハネ)」の像も追加。現在は観光地として有名で、多くの人で賑わっています。
カレル橋はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
カレル橋が評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
14世紀以降に政治、経済、文化などが発展したプラハは、中欧や東欧の各都市の建築や芸術様式のモデルとなったという点。
登録基準(iv)
プラハは世界的に有名な建築物と町並みが溶け込んだ、優れた都市建築物の集合体であるということ。
登録基準(vi)
プラハは、中央ヨーロッパのキリスト教の中心地であり、カレル大学によって学問が発展し、フランツ・カフカが住んだ街として文化も発展した都市であるということ。
世界遺産マニアの結論と感想
カレル橋は歴史が古く、聖人などの像が加えられた華麗な橋で、中欧や東欧の各都市の建築や芸術様式に影響を与えているという点で評価されています。
ちなみに、橋の西側の近くには「レノン・ウォール(ジョンレノンの壁)」と呼ばれる、落書きだらけの壁があり、1980年代になるとジョン・レノンにまつわる落書きが増えていきました。破壊されたり、建て替えがされたりと、壁は常に変化していきましたが、現在はなぜかマルタ騎士団が所有され、一定のルールのもと落書きは許されています。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。