フランスの世界遺産「ブロワ城」とは?世界遺産マニアが解説

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登録区分文化遺産
登録基準(1),(2),(4)
登録年2000年

ブロワ城は「シュリー=シュル=ロワールとシャロンヌ間のロワール渓谷」の構成資産の一つ。ブロワ城はヴァロワ王朝時代は宮廷があったことから、歴代の王たちによって多くの建造物が築かれました。ところで、ブロワ城はなぜ世界遺産なのでしょうか?

ここではブロワ城がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、 について詳しくなること間違いなし!

目次

ブロワ城とは?

ブロワ城
画像素材:shutterstock

フランス北中部ロワール=エ=シェール県にあり、ロワール川沿いに位置するブロアの街の中心部にある城。ここはフランス王が居城とした城で、13〜17世紀にかけて造られたもの。もともとはルイ12世(1462〜1515年)の居城であり、16世紀に現在見られるルイ12世の翼とルネサンス様式の庭園が築かれました。

フランソワ1世(1494年〜1547年)が即位すると、新しい翼を建造。ここには八角形の螺旋階段が加えられ、フランス・ルネサンスの傑作とされています。ルイ13世の弟であるオルレアン公ガストンが1626年にこの地が与えられると、1635年に3階建ての新しい翼が建造するもフランス革命期に破壊されてしまいますが、1841年に博物館となり、全体的に修復されました。

ブロワ城はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

ブロワ城
画像素材:AdobeStock

ブロワ城が評価されたのが、以下の点。

登録基準(i)
渓谷内にはブロワ、シノン、オルレアン、トゥールなど歴史的な景観を持つ街が点在し、そして、美しい外観のシャンボール城も見られるという点。

登録基準(ii)
渓谷は、2000年にも渡って人間と環境の調和をしつつ発展したという文化的景観が見られるということ。

登録基準(iv)
渓谷沿いに残る建築物は、王族や貴族たちによって建造され、デザインや思想において、ルネサンスを経て啓蒙主義時代の理想を実現したものであるという点。

世界遺産マニアの結論と感想

ブロワ城は、フランス王の本拠地であったことから、優雅な建造物が多く造られ、これはこの地が重要であったということを示すという点で評価されています。

ちなみに、フランス王アンリ2世の王妃カトリーヌ・ド・メディシス(1519〜1589年)はこの城で亡くなりましたが、過去に政敵であるナバラ王国の王女ジャンヌ・ダルブレを毒を持って殺害したという噂がありました。城には彼女が毒を保管した場所とされる、秘密の部屋のキャビネットがあることで有名ですが、これは貴重な品々を展示するためであり、実際は毒などはなかったそうな。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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